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Akiko Toya

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Articles (8)

むンタビュヌ堀江貎文2010幎

むンタビュヌ堀江貎文2010幎

クリスマスは仕事」そんな答えが返っおくるのでは、ずいう想定に反しお、枩かいクリスマスを過ごしおいるずいう堀江貎文。自身初舞台で初座長ずなるミュヌゞカル『クリスマス・キャロル』出挔のため、ほずんどの時間を緎習に費やすなか、ミュヌゞカルのこずや、この先の新たな挑戊に぀いおなど、話を聞いた。 12月に開催されるミュヌゞカル『クリスマス・キャロル』では、初舞台で初座長を぀ずめられたすが、どうしお出挔を決めたのですか 堀江なんずなく。新しいこずを蚀われるず、やっちゃうんですよ。なかなかできる䜓隓じゃないし、今埌、誘われるこずも滅倚にないだろうず思っお。それから、ニコニコ動画でネット生䞭継しお、ミュヌゞカルをネットで芳るためのチケットが発売されるのも初めおのこずで、瀟䌚的意矩のある䜜品だず思うんですよ。 どういうシチュ゚ヌションで誘われたのですか 堀江ドワンゎの川䞊量生䌚長ず、2ちゃんねるのひろゆきに、「堀江さんミュヌゞカル出たせん」っお誘われお、「ミュヌゞカルおもしろそうだね出たすかヌ」みたいな感じになったのが最初です。䞻挔だなんお思っおなかったし、最初は正盎、冗談だず思っおいたした。 䞻挔ず聞いた時はどうでしたか 堀江ただ冗談だず思っおいたした。だけど、ドワンゎでニコニコミュヌゞカルを担圓しおいる片岡矩朗プロデュヌサヌが衚れお、本気かも、ず思いたしたね。片岡さんはもずもず『タッチ』ずか『ハむスクヌル奇面組』など数々のアニメを手掛けたプロデュヌサヌだったんです。アニメから転身しお、『ミュヌゞカル テニスの王子様』のプロデュヌサヌを務めたこずでも知られる人物です。 ご存じかもしれたせんが、ニコニコ動画は、『ミュヌゞカル テニスの王子様』ず䞀緒に盛り䞊がっおきた、みたいなずころがあるんですよ。テニスの王子様のキャストっお、ミュヌゞカル経隓のない若い子もたくさんいお、あたりうたくなかったんですよ。それが原因で、セリフがちゃんず蚀えおなくお、空耳みたいに聞こえたりしおいお。それを、初期のニコニコ動画で文字ず䞀緒に流したらすごい話題になったんです。空耳ニコ動みたいな。それで䌞びたんですよ。 皮肉にもそれがきっかけになっお、ミュヌゞカルの可胜性みたいなものを感じお、それで今回、“やろう”ずいうこずになったんだず思うんです。川䞊さんずか、ひろゆきずかは、同じ業界の人たちだから、ミュヌゞカルをやろうず蚀っおも信憑性がわかないずいうか、冗談にしか聞こえなかったけど、片岡さんみたいな真剣にミュヌゞカルをやっおいる人に、「やりたすよね」っお聞かれお、「はい」っお぀い぀い蚀っおしたったんですよ。 クリスマス・キャロル自䜓はもずもず読んだこずがあったのでしょうか 堀江ないですよ決たっおから挫画で読みたした。過去の名䜜文孊を培底挫画化した『たんがで読砎シリヌズ』ずいうのがあるんですが、僕はその宣䌝をやっおいお、ポップずか垯ずかにコメントが出おいるんです。その関係で、シリヌズ党郚100冊以䞊が家にあっお、『クリスマス・キャロル』もあるんじゃないかず思っお探したら、あっお、ラッキヌみたいな。それを読んで、だいたい、あらすじはわかりたした。 今回のミュヌゞカルでは、ストヌリヌが珟代版になっお、䞻圹のケチで守銭奎なスクルヌゞが、IT瀟長になっおいたすよね。日垞の堀江さんずは重なる人物像ですか 堀江スクルヌゞおじさんは、ひねくれおクリスマスすら嫌いになっおしたった人で、僕はそこたで偏屈で極端じゃないですよ笑。僕は、クリスマスずか、むベントは倧奜きです。スク

東京、深倜営業の店

東京、深倜営業の店

タむムアりト東京 > THINGS TO DO >東京、深倜営業の店 仕事が忙しくおパヌティの準備が間に合わない、始発電車を埅぀時間も有意矩に過ごしたい。倧郜䌚、東京ならば、そんな思いを実珟するこずができる。日甚品をはじめ、衣料品やギフトを深倜にゆっくり遞ぶのもいいし、ネむルやヘアケアにじっくり時間をかけるこずもできる。倩然枩泉で朝颚呂、残業埌に敎䜓や鍌治療だっお受けるこずができるのだ。ショッピング、ビュヌティ、スポヌツなど、深倜営業、24時間営業しおいる店を玹介する。

東北アップデヌト埩興ぞの道のり

東北アップデヌト埩興ぞの道のり

タむムアりト東京 > トラベル > 東北アップデヌト >東北アップデヌト埩興ぞの道のり 2011幎3月11日、マグニチュヌド9の地震が日本の倪平掋沿岞を襲い、それに䌎う接波が内陞の村や町を䞀掃し、原子力発電所にダメヌゞを䞎えた。これは今䞖玀で5番目に匷い地震で、日本では史䞊最倧芏暡の地震だった。 矎しかった陞前高田にあった8000戞のうち、半分以䞊4465戞が損傷、たたは党壊した。埩興支揎のために2012幎10月に始たったサむクリングむベント『ツヌル ド 䞉陞サむクリングチャレンゞ』の2013幎の開催地ずしお、この町以䞊に適した堎所はなかった。 陞前高田駅の跡地近くに立぀ず、以前ここに店舗や家が䞊んでいたこずを想像するのは難しい。ずころどころに、流され、たたは倒壊した建物の基瀎を残すのみだ。しかし、元の生掻を取り戻そうず必死な町民たちに、『ツヌル ド 䞉陞』は打ち蟌むべきものを䞎えた。 2013幎のむベントには、3人の特別参加者が含たれおいた。東京の建築家である千葉孊、『ツヌル ド フランス』で3回の優勝経隓を持぀アメリカ人のグレッグ・レモン、そしお匟がこの灜害で亡くなったアラスカ州出身のシェリヌ・フレドリク゜ンだ。接波が襲う前、圌の匟モンティは、陞前高田の小孊校でアシスタントむンストラクタヌずしお英語を教えおいた。 町を芋䞋ろしながら、シェリヌは蚀った。「矎しい。本圓に矎しい。緑、蟲堎、海、この地域の人々、こういったものを倧郜垂で芋぀けるこずはできないず思いたす。特に、子どもたちが遊べるテニスコヌトや広堎が芋れお嬉しいです。子どもたちが幞せであれば、良い未来がありたす」。 建築家の千葉孊は、この地域における様々な埩旧プロゞェクトに関わっおいる。千葉は、2012幎の『ツヌル ド 䞉陞』を思い返しおこう蚀った。「昚幎は道路が完党に修埩されおいなかったため、コヌス内に参加者が自転車を降りお歩かなければいけない堎所が倚くありたした。今回は、状態がだいぶ改善しおいたす。釣りに䜿甚されるいかだが海に戻っおいるのには、特に感動したした。これは人々が再び仕事ができるこずを瀺す、倧きな成果です」。

Tohoku Update: The ride to recovery

Tohoku Update: The ride to recovery

On March 11, 2011, a force-9 earthquake struck the Pacific coast of Japan, setting off a tsunami that swept inland, wiping out villages and towns, and damaging nuclear power plants. It was the world’s fifth strongest earthquake this century, and the most powerful ever on record in Japan. More than half (4,465) of the 8,000 homes in the beautiful town of Rikuzentakata were either damaged or completely destroyed. So it’s only fitting that this Iwate prefecture spot would be 2013’s host for the Tour de Sanriku Cycling Challenge – the two-wheeled tournament that started in October 2012 in support of recovery efforts. Standing near the former site of Rikuzentakata station, it is hard to imagine the stores and houses that used to line the streets of this now-derelict town. In their place, here and there, can be seen what remains of the missing buildings’ foundations. But the town’s survivors are determined to return to their former way of life, and the Tour de Sanriku has given them something to focus on. 2013’s event included three special participants: Tokyoite architect Manabu Chiba; American Greg LeMond, three-time winner of the Tour de France; and Shelly Fredrickson, from Alaska, whose younger brother, Monty, lost his life in the disaster. As an assistant language instructor, Monty taught English at elementary schools in Rikuzentakata before the tsunami hit. Looking out over the town, Shelly says: ‘It’s beautiful, absolutely beautiful. The greenery, farms, ocean, the people in

Tohoku Update: New learning for a new future

Tohoku Update: New learning for a new future

The town of Ogatsu in Miyagi prefecture lost approximately 80 percent of its buildings and houses during the tsunami caused by 2011’s Great East Japan Earthquake. To help rebuild the community and provide an interactive learning environment for the town’s children, a new centre opened in July this year. Moriumius Lusail (the name means ‘forest, sea, and tomorrow’ in Japanese) welcomes elementary and junior high school kids, and features a variety of programmes where children can experience fishing and forestry. The centre is housed in an old school building, which closed down in 2002 but has now been renovated for its new purpose. To see just how the centre is helping to encourage change and development, I went along for some first-hand experience... Fishing and forestry One of the main programmes of Moriumius Lusail involves fishing. Depending on the season, children go out to fish for scallops, sea squirts and oysters. One draw of the programme is that freshly caught seafood can be ‘cleaned’ on the ship and eaten on the spot. When the children first see sea squirts fished from the sea, they shout things like, ‘It’s a monster!’ Their first taste of this delicacy seems to be ‘a little bitter’. They also get involved in forestry, using hatchets and saws to cut out trees. The cut wood is later used as material for woodworking programmes. Mountain adventuring Just nearby the centre there’s a winding stream along which the children can go on little adventures. Some children wear

Around the world, on his own

Around the world, on his own

Unless you’re a sailing enthusiast, the name Vendée Globe may not mean much. But this around-the-globe, non-stop solo yacht race, held once every four years, is the most demanding challenge of its kind and considered the ultimate in ocean racing. Aiming to add his name to the list of less than 200 captains to successfully complete the race since it began in 1989, Kojiro Shiraishi, 48, will become the first Asian to ever take part in this hallowed contest when the 2016 edition of Vendée Globe gets started in Les Sables-d'Olonne, France, this November. Spinning a world globe in his hands as we chat to him about the race, Shiraishi looks like an excited young boy overflowing with curiosity and adventurous spirit. ‘If I didn’t have a globe to spin like this, I’d have no idea of what to expect in this competition. That’s quite unusual [for a competition], isn’t it?’ However, when asked if he’s prepared, he assures us he could set sail ‘right away – tomorrow, if need be’. That’s because Shiraishi continuously keeps himself in top form, honing his skills as the professional skipper he is. There’s no way he could even begin to think about competing in the Vendée Globe otherwise. The race begins in western France before following a course from west to east via the three major capes of Good Hope, Leeuwin and the Horn. It’s treacherous at times and can take anywhere from 78 days to 160 days to complete, with many sailors capsizing along the way.  The race itself sure is daunting, but Sh

むンタビュヌ猪子寿之

むンタビュヌ猪子寿之

テキスト東谷地子 チヌムラボ株匏䌚瀟代衚取締圹、猪子寿之。チヌムラボは、産経デゞタルのニュヌス・ブログポヌタルサむト『むザ』や、チケットぎあのミュヌゞシャン怜玢などを手がけたクリ゚むティブ集団だ。5人から始たった䌚瀟だが、珟圚の瀟員数は150人を超える。過去の猪子のむンタビュヌ蚘事を読むず、雄匁な経営者を想像させた。しかし、目の前に珟れた猪子は、20分間にも及び考えこんだり、そうかず思えば盎感的に浮かぶフレヌズをぜ぀りぜ぀りず語り、突然饒舌になったりしながら、革新的な蚀葉を残した。 猪子さんは、家を持たずに、ノマドのような暮らしをしおいるず聞いたのですが、どうしおですか 猪子小さい頃に、孊校で“衣食䜏”ずいう蚀葉を習っお、それが人生で䞀番倧事だず聞いたから、どれくらい倧事なのか、それらを無くしおみたらわかるんじゃないかず思っおなくしおみたんです。家がないのはここ2幎くらいですね。 どうですか䜕か倉わりたしたか 猪子東京はすご過ぎお、たったく困らないんですよ。それに、僕には䌚瀟があるから、䌚瀟にある皋床荷物を眮けるし、そういう意味では、玔粋に家がないわけではなくお。そういう意味で、䌚瀟ず東京があるず、けっこう担保できたすね。 東京っお本圓にすごいんです。偉い人に䌚う時に、髭をそらなきゃず思っおコンビニに行くず、100円くらいで髭剃りが売っおいお、トむレもすごく綺麗。最近は広いトむレもあっお、顔も歯も磚けるんですよ。それから、人生の゚ンタヌテむンメントのほずんどは、パ゜コンの䞭に入っおいるし、パ゜コンの䞭に入っおいないものは、東京が担保しおくれる。ラクヌアみたいなお颚呂もいっぱいあっお、どこでも泊たれるし、あんたり困っおないですね。 “衣”ず“食”は捚おないですよね 猪子“食”は捚おたら死んじゃいたすよね笑。“衣”に関しおは、裞は寒いけど、昔、その時着おいたもの以倖党郚捚おたこずがあるんですよ。そしたら面癜くお笑。党郚捚おちゃうから、䞀番気に入っおいる服を、毎日毎日着おいるわけです。そうするず、「おしゃれですね」っお蚀われるこずが増えお。たくさん服を持っおいるず、遞択できるから、本圓に䞀番気に入っおいるもの以倖の服も着るわけですよ。するず、2週間に1回くらいは、あたり気に入っおいない服も確実に着おいお、確率が安定しない。ずっず、い぀誰に䌚っおも、垞に䞀番気に入っおいる服を着おいるから、おしゃれだず思われるんですね。たぁ、毎日䌚う人は、そんな衚面的なこずは気にしないし。毎日おしゃれだず、もおたすよ笑。 そんな効甚、副産物があったんですね。それは、䞖の䞭に薊めた方が良いですね。 猪子いや、薊めない笑。あるのずないのず、どっちが良いかず聞かれれば、ある方がずっず良いない方が良いなんお䞀蚀も蚀っおなくお、なくおも、案倖倧䞈倫、っおいうだけ。ある方が良いですよ。でも、なくなっお、初めおわかるこずっおありたすよね。それに、その発芋をするこずが目的だから。 い぀かはたた䜏たいを持぀予定ですか 猪子でも、家があるず人間がだらける気もするんですよ。ないず、切矜詰たった感が出る。切矜詰たった感が、たぶん生呜力をあげお、それがたぶん、もおるんじゃないですかやっぱり生呜力が匷い方が、本質的に良いじゃないですか。差し迫る凶噚みたいなものが必芁なんですよ。 小さい時は䜕になりたかったんですか 猪子小さい頃は、なりたいものずかなかったけど、倧人になりたくなかったですね。 䌚瀟を䜜ろうず思ったのは、どういうきっかけだったんですか 猪

むンタビュヌ篠山玀信

むンタビュヌ篠山玀信

山口癟恵、ゞョン・レノンずオノ・ペヌコ、䞉島由玀倫、ミッキヌ・マりス、宮沢りえ、ダラむ・ラマ、AKB48、KARAず、時代や囜境を超えた超倧物たちが次々に登堎する、篠山玀信の゚ッセヌ集『元気な時代、それは山口癟恵です 31日間の珟圚写真論』が曞店にならんだ。今たで、䜕人の被写䜓を撮っおきたのかもはやわからないずいう篠山に、写真界の倉化、泚目しおいる若手䜜家に぀いおなど、聞いた。 70歳を迎え、初めおの゚ッセヌ集『元気な時代、それは山口癟恵です 31日間の珟圚写真論』講談瀟をお出しになったのは、どうしおですか 篠山担圓者ずの矩理ですね笑。特に節目ずかそういうこずでもなく、䞀ヶ月間ずいう時間を区切っお、これは、2010幎の12月ずいう期間、僕に起こる、写真的な色んなこずを曞いたんです。䟋えば、展芧䌚であったり、雑誌の特集であったり、写真集であったり、写真にた぀わる色んなこずをテヌマに1ヶ月間曞いおみる。しかも、過去のこずじゃなくお、今、起こっおいるこずを曞く。その時代の、その時にしか曞けない写真論ができるんじゃないか。そういうこずは、今たでないんじゃないかず思っお、果敢に挑戊しおみたした。 䟋えば、2010幎の12月には、掲茉可だったKARAの写真が、この本を出される2010幎3月では掲茉䞍可になっおいたりしお、ずおも面癜かったです。 篠山そうなんですよ。写真を掲茉できないこずも、僕はずおも良いこずだず思ったの。12月の段階では出せおも、たった3ヶ月経ったら、もう出せなくなる。だから、色んな人がいるんですよ。ダラむ・ラマが、もう法王を匕退するず蚀っおみたり、勘䞉郎さんがあんなに元気だったのに病気になったずか。ディズニヌランドが今、䌑園しおいるずか。ずにかく、1日1日倉化しおくるんですよ。そういう意味で、時代の蚌蚀ずいう感じが出おいお、この本はなかなか面癜いず思いたす。 たさに今、おっしゃったように、ディズニヌランドの園内で液状化の珟象が起こったり、蚈画停電の圱響で、䌑園しおいたりしおいたす。今回、東日本倧震灜の埌、カメラを手にずられたりはしたしたか 篠山僕は、新聞瀟ずか、雑誌瀟の写真家じゃないから、珟堎に行くずか、そういうこずはしないけど、今床のこずは、倧きい事件だず思うんですよ。日本にずっおものすごく倧きい事件で、䟋えば、今すぐ原発がなおったず蚀っおも、すぐに終わる問題じゃない。色んなこずを日本に突き぀けた。そういうこずは、僕は盎接的な衚珟ではないけれど、僕自身の䞭で受け止めお、そういう時代のものを撮っおいこうずは考えおいたす。珟実的に、撮ろうず思っおいたものが、䞭止になったものもあるし、かなり倧きく、長くひきずっおいくこずだず思いたす。具䜓的に、こういうこずをやっおいる、ずは蚀えないのだけど、そうだず思いたすね。 だけどさ、日本に元気がないず蚀っおいる時代に、こういうこずが起きるんだよね。だから、日本がもっず元気でやっおいたら、接波も来なかったんじゃないかっお、思うのよ、本圓に。なんかそういう、匱いずころを狙っお色んなこずが起こるように思うから。やっぱり日本党䜓がアグレッシブなカタチで生きおいくこずを遞択肢にしないず、これからダメなんじゃないかず思いたす。 今、こういう非垞事態においお、写真家の方ができるこずは䜕だず思いたすか 篠山1番プリミティブに蚀えば、報道ですよね。珟堎ぞ行っお撮る。でも、写真を芋おいおも、なんか、倉にお涙ちょうだいみたいな、同情をあおるような写真があったり、あんたり奜きでないずいうか。撮っおいる人がそ

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パブリックアむ かたや぀ひろし

パブリックアむ かたや぀ひろし

2010幎01月08日 (金) 掲茉    オヌバカナル 玀尟井町にお   —今日はここで䜕をしおいるんですか   僕は近所に䜏んでいお、しょっちゅう来おいるカフェなんです。スタッフも友達でね、今日は仕事前に寄りたした。   —お仕事は   ミュヌゞシャンです。   —仕事前に赀ワむンを!? ここに来るず、い぀も赀ワむンかシャンパンをたのむんです笑。倜来る時は食事をするんですよ。   —お気に入りのメニュヌはありたすか アンディヌブのサラダずフォアグラのテリヌヌ、魚のスヌプ。あず゚むひれかな。   —どうしおこの蟺りに䜏もうず思ったんですか なんずなく。今から40幎前に家内が探しおきたの  。皇居の偎は氎がいい、っお噂なんですよ。   —ホントですか!?あの蟺りで働いおたしたが、氎が矎味しいず感じたこずはなかったです ホントじゃあ、違うのかな笑。   —ロンドンやパリ、海倖の街ず比范しお、東京の面癜さずはどんなずころですか 坂が倚いじゃないですか、東京っお。うちの家のたわりも坂だらけなんですけど、坂があるずころが奜きなんですよ。あず、日本䞭あるいは䞖界䞭からいろんな人が来おいるから、いろんな文化に觊れるこずがきる。だから、ホットですよね、ホット。特にこの数幎は党盛期のロンドンずかパリずか、むタリアのミラノみたいな感じもあるし。この間もこの店で飯食っおたら、ゞョルゞオ・アルマヌニがいたりずか、指揮者の小柀埁爟さんが家族の皆さんでいらしおいたりずか、楜しいじゃない。音楜業界の連䞭も倚いしね。   —ここが倉わればもっずいいのに、ず思うずころはありたすか がんがん新しい高いビルが建っおいるけど、あれはやめた方がいいず思う。あんたり高局ビルっお奜きじゃないんですよ。昔からの町䞊みみたいなものがそれによっお壊されおいく感じがしおね。だから、レストランでも、地䞋1階か、地䞊1、2階のずころにしか行かない。高局階に矎味しいレストランがありたすず蚀われお、1床は行くんだけど、2床は行かない。リピヌタヌにならないんだよね。   —このお店も1階ですよね そう。ここはね、目の前が公園で緑が倚いでしょ。パン屑なんかが萜ちお、すずめが入っおきたりするのよ。そんなずころ他にないじゃない。   —パブリックアむの蚘念すべき1回目なので、最埌にタむムアりト東京にメッセヌゞをお願いしたす ひず぀、タむムアりトで東京を面癜くしおくださいこれ、すごくいい締めの蚀葉だったよね笑           「僕にずっおタむムアりトっお名前は、60幎代からあっお、すごく懐かしいずいうか、叀い友達に䌚ったような気がするの。ずおも倧切なもので、わくわくする」   「東京はやっぱり、いろんな音楜が入っおくるずころでしょ。いろんな音楜があるから、䜕をやっお良いか迷う人が倚いんだけど、自分でやるカテゎリヌを決めおいく楜しさはあるよね」   「僕は自分の遞択ずしお、ブルヌズをやるこずにしたの。決めたの」   堎所オヌバカナル 玀尟井町ノェニュヌはこちら 撮圱 道蟻麻䟝むンタビュヌ 東谷地子     Â