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Akiko Toya

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Articles (9)

能登で救援物資の無償配布行う「移動スーパー」から見えた課題

能登で救援物資の無償配布行う「移動スーパー」から見えた課題

タイムアウト東京 > Things To Do > 能登で救援物資の無償配布行う「移動スーパー」から見えた課題 「令和6年能登半島地震」に伴い、「移動スーパーとくし丸(以下、とくし丸)」が、石川県珠洲市や経済産業省と連携し、2024年1月7日から被災地で救援物資の無償配布を行っている。 野菜などが描かれた軽トラックの荷台の扉を開けると、食品や日用品がずらりと陳列されている。冷蔵庫も完備され、牛乳や豆腐のほか、寿司などの総菜も揃っていた。 とくし丸は、買い物をするのが困難な高齢者に向けて、軽トラックに約400品目を乗せて販売する移動型スーパーマーケット事業である。北海道から沖縄まで日本全国141社のスーパーと提携し、1164台が稼働している(2023年12月時点)。 普段は移動スーパーだが、今回の災害のような非日常では物資運搬車となり「フェーズフリー」に活躍する面も見せた。地域に慣れ親しんだ販売パートナーが、そのエリアの人たちのことをよく知っているから、信頼度も高く、安否確認もしやすいだろう。 Photo: Akiko Toyo個人宅を回る「とくし丸」 この移動スーパーが訪れる現場で中心となっているのが、同社取締役の佐藤禎之だ。佐藤は、海上自衛隊のレスキュー部隊に11年所属した経験を持つ。その経験を生かし、初めて被災地で支援する本社のスタッフや、一夜にして被災者となってしまったスタッフを先導し、被害の大きかった能登地方の避難所や住宅街を訪問している。 今回、タイムアウト東京の取材班は、とくし丸チームとともに輪島市に向かった。道中、佐藤に話を聞いた。 関連記事『東京の名もなき支援者たち 2』

インタビュー:篠山紀信

インタビュー:篠山紀信

タイムアウト東京 > カルチャー >インタビュー:篠山紀信 ※同記事は2011年3月30日、篠山紀信が70歳を迎えた際のインタビューの再掲 山口百恵、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、三島由紀夫、ミッキー・マウス、宮沢りえ、ダライ・ラマ、AKB48、KARAと、時代や国境を超えた超大物たちが次々に登場する、篠山紀信のエッセー集『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』が書店にならんだ。今まで、何人の被写体を撮ってきたのかもはやわからないという篠山に、写真界の変化、注目している若手作家についてなど、聞いた。 70歳を迎え、初めてのエッセー集『元気な時代、それは山口百恵です 31日間の現在写真論』(講談社)をお出しになったのは、どうしてですか? 篠山:担当者との義理ですね(笑)。特に節目とかそういうことでもなく、一ヶ月間という時間を区切って、これは、2010年の12月という期間、僕に起こる、写真的な色んなことを書いたんです。例えば、展覧会であったり、雑誌の特集であったり、写真集であったり、写真にまつわる色んなことをテーマに1ヶ月間書いてみる。しかも、過去のことじゃなくて、今、起こっていることを書く。その時代の、その時にしか書けない写真論ができるんじゃないか。そういうことは、今までないんじゃないかと思って、果敢に挑戦してみました。 例えば、2010年の12月には、掲載可だったKARAの写真が、この本を出される2010年3月では掲載不可になっていたりして、とても面白かったです。 篠山:そうなんですよ。写真を掲載できないことも、僕はとても良いことだと思ったの。12月の段階では出せても、たった3ヶ月経ったら、もう出せなくなる。だから、色んな人がいるんですよ。ダライ・ラマが、もう法王を引退すると言ってみたり、勘三郎さんがあんなに元気だったのに病気になったとか。ディズニーランドが今、休園しているとか。とにかく、1日1日変化してくるんですよ。そういう意味で、時代の証言という感じが出ていて、この本はなかなか面白いと思います。 まさに今、おっしゃったように、ディズニーランドの園内で液状化の現象が起こったり、計画停電の影響で、休園していたりしています。今回、東日本大震災の後、カメラを手にとられたりはしましたか? 篠山:僕は、新聞社とか、雑誌社の写真家じゃないから、現場に行くとか、そういうことはしないけど、今度のことは、大きい事件だと思うんですよ。日本にとってものすごく大きい事件で、例えば、今すぐ原発がなおったと言っても、すぐに終わる問題じゃない。色んなことを日本に突きつけた。そういうことは、僕は直接的な表現ではないけれど、僕自身の中で受け止めて、そういう時代のものを撮っていこうとは考えています。現実的に、撮ろうと思っていたものが、中止になったものもあるし、かなり大きく、長くひきずっていくことだと思います。具体的に、こういうことをやっている、とは言えないのだけど、そうだと思いますね。 だけどさ、日本に元気がないと言っている時代に、こういうことが起きるんだよね。だから、日本がもっと元気でやっていたら、津波も来なかったんじゃないかって、思うのよ、本当に。なんかそういう、弱いところを狙って色んなことが起こるように思うから。やっぱり日本全体がアグレッシブなカタチで生きていくことを選択肢にしないと、これからダメなんじゃないかと思います。 今、こういう非常事態において、写真家の方ができることは何だと思いますか? 篠山:1番プリミティブに言えば、報道ですよね。現場へ行って撮る

インタビュー:堀江貴文(2010年)

インタビュー:堀江貴文(2010年)

クリスマスは仕事」そんな答えが返ってくるのでは、という想定に反して、温かいクリスマスを過ごしているという堀江貴文。自身初舞台で初座長となるミュージカル『クリスマス・キャロル』出演のため、ほとんどの時間を練習に費やすなか、ミュージカルのことや、この先の新たな挑戦についてなど、話を聞いた。 12月に開催されるミュージカル『クリスマス・キャロル』では、初舞台で初座長をつとめられますが、どうして出演を決めたのですか? 堀江:なんとなく。新しいことを言われると、やっちゃうんですよ。なかなかできる体験じゃないし、今後、誘われることも滅多にないだろうと思って。それから、ニコニコ動画でネット生中継して、ミュージカルをネットで観るためのチケットが発売されるのも初めてのことで、社会的意義のある作品だと思うんですよ。 どういうシチュエーションで誘われたのですか? 堀江:ドワンゴの川上量生会長と、2ちゃんねるのひろゆきに、「堀江さんミュージカル出ません?」って誘われて、「ミュージカルおもしろそうだね!出ますかー!」みたいな感じになったのが最初です。主演だなんて思ってなかったし、最初は正直、冗談だと思っていました。 主演と聞いた時はどうでしたか? 堀江:まだ冗談だと思っていました。だけど、ドワンゴでニコニコミュージカルを担当している片岡義朗プロデューサーが表れて、本気かも、と思いましたね。片岡さんはもともと『タッチ』とか『ハイスクール!奇面組』など数々のアニメを手掛けたプロデューサーだったんです。アニメから転身して、『ミュージカル テニスの王子様』のプロデューサーを務めたことでも知られる人物です。 ご存じかもしれませんが、ニコニコ動画は、『ミュージカル テニスの王子様』と一緒に盛り上がってきた、みたいなところがあるんですよ。テニスの王子様のキャストって、ミュージカル経験のない若い子もたくさんいて、あまりうまくなかったんですよ。それが原因で、セリフがちゃんと言えてなくて、空耳みたいに聞こえたりしていて。それを、初期のニコニコ動画で文字と一緒に流したらすごい話題になったんです。空耳ニコ動みたいな。それで伸びたんですよ。 皮肉にもそれがきっかけになって、ミュージカルの可能性みたいなものを感じて、それで今回、“やろう”ということになったんだと思うんです。川上さんとか、ひろゆきとかは、同じ業界の人たちだから、ミュージカルをやろうと言っても信憑性がわかないというか、冗談にしか聞こえなかったけど、片岡さんみたいな真剣にミュージカルをやっている人に、「やりますよね?」って聞かれて、「はい」ってついつい言ってしまったんですよ。 クリスマス・キャロル自体はもともと読んだことがあったのでしょうか? 堀江:ないですよ!決まってから漫画で読みました。過去の名作文学を徹底漫画化した『まんがで読破シリーズ』というのがあるんですが、僕はその宣伝をやっていて、ポップとか帯とかにコメントが出ているんです。その関係で、シリーズ全部100冊以上が家にあって、『クリスマス・キャロル』もあるんじゃないかと思って探したら、あって、ラッキー!みたいな。それを読んで、だいたい、あらすじはわかりました。 今回のミュージカルでは、ストーリーが現代版になって、主役のケチで守銭奴なスクルージが、IT社長になっていますよね。日常の堀江さんとは重なる人物像ですか? 堀江:スクルージおじさんは、ひねくれてクリスマスすら嫌いになってしまった人で、僕はそこまで偏屈で極端じゃないですよ(笑)。僕は、クリスマスとか、イベントは大好きです。スク

東京、深夜営業の店

東京、深夜営業の店

タイムアウト東京 > THINGS TO DO >東京、深夜営業の店 仕事が忙しくてパーティの準備が間に合わない、始発電車を待つ時間も有意義に過ごしたい。大都会、東京ならば、そんな思いを実現することができる。日用品をはじめ、衣料品やギフトを深夜にゆっくり選ぶのもいいし、ネイルやヘアケアにじっくり時間をかけることもできる。天然温泉で朝風呂、残業後に整体や鍼治療だって受けることができるのだ。ショッピング、ビューティ、スポーツなど、深夜営業、24時間営業している店を紹介する。

東北アップデート:復興への道のり

東北アップデート:復興への道のり

タイムアウト東京 > トラベル > 東北アップデート >東北アップデート:復興への道のり 2011年3月11日、マグニチュード9の地震が日本の太平洋沿岸を襲い、それに伴う津波が内陸の村や町を一掃し、原子力発電所にダメージを与えた。これは今世紀で5番目に強い地震で、日本では史上最大規模の地震だった。 美しかった陸前高田にあった8000戸のうち、半分以上(4465戸)が損傷、または全壊した。復興支援のために2012年10月に始まったサイクリングイベント『ツール ド 三陸サイクリングチャレンジ』の2013年の開催地として、この町以上に適した場所はなかった。 陸前高田駅の跡地近くに立つと、以前ここに店舗や家が並んでいたことを想像するのは難しい。ところどころに、流され、または倒壊した建物の基礎を残すのみだ。しかし、元の生活を取り戻そうと必死な町民たちに、『ツール ド 三陸』は打ち込むべきものを与えた。 2013年のイベントには、3人の特別参加者が含まれていた。東京の建築家である千葉学、『ツール ド フランス』で3回の優勝経験を持つアメリカ人のグレッグ・レモン、そして弟がこの災害で亡くなったアラスカ州出身のシェリー・フレドリクソンだ。津波が襲う前、彼の弟モンティは、陸前高田の小学校でアシスタントインストラクターとして英語を教えていた。 町を見下ろしながら、シェリーは言った。「美しい。本当に美しい。緑、農場、海、この地域の人々、こういったものを大都市で見つけることはできないと思います。特に、子どもたちが遊べるテニスコートや広場が見れて嬉しいです。子どもたちが幸せであれば、良い未来があります」。 建築家の千葉学は、この地域における様々な復旧プロジェクトに関わっている。千葉は、2012年の『ツール ド 三陸』を思い返してこう言った。「昨年は道路が完全に修復されていなかったため、コース内に参加者が自転車を降りて歩かなければいけない場所が多くありました。今回は、状態がだいぶ改善しています。釣りに使用されるいかだが海に戻っているのには、特に感動しました。これは人々が再び仕事ができることを示す、大きな成果です」。

Tohoku Update: The ride to recovery

Tohoku Update: The ride to recovery

On March 11, 2011, a force-9 earthquake struck the Pacific coast of Japan, setting off a tsunami that swept inland, wiping out villages and towns, and damaging nuclear power plants. It was the world’s fifth strongest earthquake this century, and the most powerful ever on record in Japan. More than half (4,465) of the 8,000 homes in the beautiful town of Rikuzentakata were either damaged or completely destroyed. So it’s only fitting that this Iwate prefecture spot would be 2013’s host for the Tour de Sanriku Cycling Challenge – the two-wheeled tournament that started in October 2012 in support of recovery efforts. Standing near the former site of Rikuzentakata station, it is hard to imagine the stores and houses that used to line the streets of this now-derelict town. In their place, here and there, can be seen what remains of the missing buildings’ foundations. But the town’s survivors are determined to return to their former way of life, and the Tour de Sanriku has given them something to focus on. 2013’s event included three special participants: Tokyoite architect Manabu Chiba; American Greg LeMond, three-time winner of the Tour de France; and Shelly Fredrickson, from Alaska, whose younger brother, Monty, lost his life in the disaster. As an assistant language instructor, Monty taught English at elementary schools in Rikuzentakata before the tsunami hit. Looking out over the town, Shelly says: ‘It’s beautiful, absolutely beautiful. The greenery, farms, ocean, the people in

Tohoku Update: New learning for a new future

Tohoku Update: New learning for a new future

The town of Ogatsu in Miyagi prefecture lost approximately 80 percent of its buildings and houses during the tsunami caused by 2011’s Great East Japan Earthquake. To help rebuild the community and provide an interactive learning environment for the town’s children, a new centre opened in July this year. Moriumius Lusail (the name means ‘forest, sea, and tomorrow’ in Japanese) welcomes elementary and junior high school kids, and features a variety of programmes where children can experience fishing and forestry. The centre is housed in an old school building, which closed down in 2002 but has now been renovated for its new purpose. To see just how the centre is helping to encourage change and development, I went along for some first-hand experience... Fishing and forestry One of the main programmes of Moriumius Lusail involves fishing. Depending on the season, children go out to fish for scallops, sea squirts and oysters. One draw of the programme is that freshly caught seafood can be ‘cleaned’ on the ship and eaten on the spot. When the children first see sea squirts fished from the sea, they shout things like, ‘It’s a monster!’ Their first taste of this delicacy seems to be ‘a little bitter’. They also get involved in forestry, using hatchets and saws to cut out trees. The cut wood is later used as material for woodworking programmes. Mountain adventuring Just nearby the centre there’s a winding stream along which the children can go on little adventures. Some children wear

Around the world, on his own

Around the world, on his own

Unless you’re a sailing enthusiast, the name Vendée Globe may not mean much. But this around-the-globe, non-stop solo yacht race, held once every four years, is the most demanding challenge of its kind and considered the ultimate in ocean racing. Aiming to add his name to the list of less than 200 captains to successfully complete the race since it began in 1989, Kojiro Shiraishi, 48, will become the first Asian to ever take part in this hallowed contest when the 2016 edition of Vendée Globe gets started in Les Sables-d'Olonne, France, this November. Spinning a world globe in his hands as we chat to him about the race, Shiraishi looks like an excited young boy overflowing with curiosity and adventurous spirit. ‘If I didn’t have a globe to spin like this, I’d have no idea of what to expect in this competition. That’s quite unusual [for a competition], isn’t it?’ However, when asked if he’s prepared, he assures us he could set sail ‘right away – tomorrow, if need be’. That’s because Shiraishi continuously keeps himself in top form, honing his skills as the professional skipper he is. There’s no way he could even begin to think about competing in the Vendée Globe otherwise. The race begins in western France before following a course from west to east via the three major capes of Good Hope, Leeuwin and the Horn. It’s treacherous at times and can take anywhere from 78 days to 160 days to complete, with many sailors capsizing along the way.  The race itself sure is daunting, but Sh

インタビュー:猪子寿之

インタビュー:猪子寿之

テキスト:東谷彰子 チームラボ株式会社代表取締役、猪子寿之。チームラボは、産経デジタルのニュース・ブログポータルサイト『イザ!』や、チケットぴあのミュージシャン検索などを手がけたクリエイティブ集団だ。5人から始まった会社だが、現在の社員数は150人を超える。過去の猪子のインタビュー記事を読むと、雄弁な経営者を想像させた。しかし、目の前に現れた猪子は、20分間にも及び考えこんだり、そうかと思えば直感的に浮かぶフレーズをぽつりぽつりと語り、突然饒舌になったりしながら、革新的な言葉を残した。 猪子さんは、家を持たずに、ノマドのような暮らしをしていると聞いたのですが、どうしてですか? 猪子:小さい頃に、学校で“衣食住”という言葉を習って、それが人生で一番大事だと聞いたから、どれくらい大事なのか、それらを無くしてみたらわかるんじゃないかと思ってなくしてみたんです。家がないのはここ2年くらいですね。 どうですか?何か変わりましたか? 猪子:東京はすご過ぎて、まったく困らないんですよ。それに、僕には会社があるから、会社にある程度荷物を置けるし、そういう意味では、純粋に家がないわけではなくて。そういう意味で、会社と東京があると、けっこう担保できますね。 東京って本当にすごいんです。偉い人に会う時に、髭をそらなきゃと思ってコンビニに行くと、100円くらいで髭剃りが売っていて、トイレもすごく綺麗。最近は広いトイレもあって、顔も歯も磨けるんですよ。それから、人生のエンターテインメントのほとんどは、パソコンの中に入っているし、パソコンの中に入っていないものは、東京が担保してくれる。ラクーアみたいなお風呂もいっぱいあって、どこでも泊まれるし、あんまり困ってないですね。 “衣”と“食”は捨てないですよね? 猪子:“食”は捨てたら死んじゃいますよね(笑)。“衣”に関しては、裸は寒いけど、昔、その時着ていたもの以外全部捨てたことがあるんですよ。そしたら面白くて(笑)。全部捨てちゃうから、一番気に入っている服を、毎日毎日着ているわけです。そうすると、「おしゃれですね」って言われることが増えて。たくさん服を持っていると、選択できるから、本当に一番気に入っているもの以外の服も着るわけですよ。すると、2週間に1回くらいは、あまり気に入っていない服も確実に着ていて、確率が安定しない。ずっと、いつ誰に会っても、常に一番気に入っている服を着ているから、おしゃれだと思われるんですね。まぁ、毎日会う人は、そんな表面的なことは気にしないし。毎日おしゃれだと、もてますよ(笑)。 そんな効用、副産物があったんですね。それは、世の中に薦めた方が良いですね。 猪子:いや、薦めない(笑)。あるのとないのと、どっちが良いかと聞かれれば、ある方がずっと良い!ない方が良いなんて一言も言ってなくて、なくても、案外大丈夫、っていうだけ。ある方が良いですよ。でも、なくなって、初めてわかることってありますよね。それに、その発見をすることが目的だから。 いつかはまた住まいを持つ予定ですか? 猪子:でも、家があると人間がだらける気もするんですよ。ないと、切羽詰まった感が出る。切羽詰まった感が、たぶん生命力をあげて、それがたぶん、もてるんじゃないですか?やっぱり生命力が強い方が、本質的に良いじゃないですか。差し迫る凶器みたいなものが必要なんですよ。 小さい時は何になりたかったんですか? 猪子:小さい頃は、なりたいものとかなかったけど、大人になりたくなかったですね。 会社を作ろうと思ったのは、どういうきっかけだったんですか? 猪

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パブリックアイ かまやつひろし

パブリックアイ かまやつひろし

*2010年01月08日(金)掲載 オーバカナル 紀尾井町にて —今日はここで何をしているんですか? 僕は近所に住んでいて、しょっちゅう来ているカフェなんです。スタッフも友達でね、今日は仕事前に寄りました。 —お仕事は? ミュージシャンです。 —仕事前に赤ワインを!? ここに来ると、いつも赤ワインかシャンパンをたのむんです(笑)。夜来る時は食事をするんですよ。 —お気に入りのメニューはありますか? アンディーブのサラダとフォアグラのテリーヌ、魚のスープ。あとエイひれかな。 —どうしてこの辺りに住もうと思ったんですか? なんとなく。今から40年前に家内が探してきたの……。皇居の側は水がいい、って噂なんですよ。 —ホントですか!?あの辺りで働いてましたが、水が美味しいと感じたことはなかったです ホント?じゃあ、違うのかな(笑)。 —ロンドンやパリ、海外の街と比較して、東京の面白さとはどんなところですか? 坂が多いじゃないですか、東京って。うちの家のまわりも坂だらけなんですけど、坂があるところが好きなんですよ。あと、日本中あるいは世界中からいろんな人が来ているから、いろんな文化に触れることがきる。だから、ホットですよね、ホット。 特にこの数年は全盛期のロンドンとかパリとか、イタリアのミラノみたいな感じもあるし。この間もこの店で飯食ってたら、ジョルジオ・アルマーニがいたりとか、指揮者の小澤征爾さんが家族の皆さんでいらしていたりとか、楽しいじゃない。音楽業界の連中も多いしね。 —ここが変わればもっといいのに、と思うところはありますか? がんがん新しい高いビルが建っているけど、あれはやめた方がいいと思う。あんまり高層ビルって好きじゃないんですよ。昔からの町並みみたいなものがそれによって壊されていく感じがしてね。だから、レストランでも、地下1階か、地上1、2階のところにしか行かない。 高層階に美味しいレストランがありますと言われて、1度は行くんだけど、2度は行かない。リピーターにならないんだよね。 —このお店も1階ですよね そう。ここはね、目の前が公園で緑が多いでしょ。パン屑なんかが落ちて、すずめが入ってきたりするのよ。そんなところ他にないじゃない。 —パブリックアイの記念すべき1回目なので、最後にタイムアウト東京にメッセージをお願いします ひとつ、タイムアウトで東京を面白くしてください! これ、すごくいい締めの言葉だったよね?(笑) 僕にとってタイムアウトって名前は、60年代からあって、すごく懐かしいというか、古い友達に会ったような気がするの。とても大切なもので、わくわくする。 東京はやっぱり、いろんな音楽が入ってくるところでしょ。いろんな音楽があるから、何をやって良いか迷う人が多いんだけど、自分でやるカテゴリーを決めていく楽しさはあるよね」 「僕は自分の選択として、ブルーズをやることにしたの。決めたの! 場所:オーバカナル 紀尾井町 撮影:道辻麻依 インタビュー:東谷彰子