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Sato Ryuichiro

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Articles (18)

東京のベストパブリックアート

東京のベストパブリックアート

タイムアウト東京 > カルチャー > 東京のベストパブリックアート 無数の美術館やギャラリーが存在し、常に多様な展覧会が開かれている東京。海外の芸術愛好家にとってもアジアトップクラスの目的地だ。しかし、貴重な展示会や美術館は料金がかさんでしまうのも事実。 そんなときは、東京の街を散策してみよう。著名な芸術家による傑作が、野外の至る所で鑑賞できる。特におすすめのスポットを紹介していく。

東京近郊の美術館20選

東京近郊の美術館20選

タイムアウト東京 > Things To Do > 東京近郊の美術館20選 移動の自粛も解除されたため、連休には遠くに出かけたいと思う向きも多いだろう。東京近郊の美術館にはそれぞれ独自のコレクションや建築などの見どころがある。 ここでは、60点以上の重要文化財を有する私立美術館、今では入手の難しいであろうロスコの名品をそろえたコレクション、隈研吾の世界を体験できる美術館建築などを紹介する。 関連記事『東京近郊の変わった博物館20選』『東京近郊のグランピング施設17選』

東京、無料で入れる美術館・博物館25選

東京、無料で入れる美術館・博物館25選

近年、美術館や博物館の入館料が上がりつつある。有料ならば確かにすばらしい体験ができると分かっていても、やはり無料で良い作品を見たいもの。 そのような需要に応えてくれるような美術館やギャラリーが東京には一定数ある。今回セレクトするのは、質の高い国内外の作家を紹介する「資生堂ギャラリー」や明治期洋画の重鎮、黒田清輝の作品を展示する「黒田記念館」から、「目黒寄生虫館」や「おりがみ会館」といった変わり種まで16館だ。 開館時間が変更になっている場合もあるので、事前に公式ウェブサイトを確認してから訪れてほしい。

東京、ベストギャラリー29選

東京、ベストギャラリー29選

タイムアウト東京 > アート&カルチャー > 東京、ベストギャラリー29選 東京には美術館だけでなく、数多くのギャラリーが点在する。中には、ガゴシアンやペースと並んで世界的に名声を博しているヴェニューから、シュルレアリスムなど極めて狭いジャンルを扱うギャラリーまで、その種類は多岐にわたる。 ただ一つ言えるのは、いくつかのギャラリーを見ていくと、そのヴェニューが好むアーティストの傾向などが分かるようになることだ。言い換えれば、自分が好きなアーティストがいれば、そうした話題を共有できる場所が見つかるということでもある。 本記事では、そうしたリサーチに役立つような東京のベストギャラリーを紹介する。ぜひ役立ててほしい。  

車いす目線で考える 第35回:不便を便利にする製品づくり

車いす目線で考える 第35回:不便を便利にする製品づくり

タイムアウト東京 >  Open Tokyo > 車いす目線で考える >  車いす目線で考える 第35回:不便を便利にする製品づくり アメリカ大リーグのロサンゼルス・エンゼルスに所属する選手、大谷翔平が、昨シーズン最も活躍した選手に贈られるMVPを満票で受賞した。このニュースは日米だけでなく、世界中のファンに大きなインパクトをもたらし、野球界は大いに盛り上がった。 世界120以上の国と地域で親しまれる野球だが、審判が判定を示す「セーフ」や「アウト」のジェスチャーが、一人の聴覚障害者の困難さを解決するために生まれたものであったことを知っているだろうか。きっかけを作ったのは、幼少期に髄膜(ずいまく)炎で聴覚障害となったウィリアム・ホイ。通算2000本安打、600近い盗塁を記録した、有名なメジャーリーガーだ。 「セーフ」や「アウト」など、このなじみのジェスチャーは、大歓声の中で音をキャッチできなくても見ればすぐに理解できるし、遠く離れた場所から試合を観戦する人にも伝わる。ホイは、野球をプレーする上で障害と感じていたものをなくすことによって、不可能を可能にした。 それが、今ではこうしたジェスチャーが我々の日常生活のコミュニケーションで、ごく自然に使われるものにまでなっている。実は、電話の発明にも、グラハム・ベルが聴覚障害の妻のために補聴器を作る過程で発見した、声を電気信号に変える技術が応用されている。 ジェスチャーや電話に限らず、このように障害を起点に生み出されたものは、世の中に多く存在している。例えば、ライター。マッチで火をつけるには両手が必要になるが、戦争で片腕をなくした兵士でも片手で たばこに火をつけられるようにと考えて開発された。 次にカーディガン。当時は頭からかぶるタイプのセーターしかなかったの対して、セーターを前開きにしてボタンで留めることで、負傷兵が軍服の上からでも素早く暖を取れるようにと工夫されたものだ。 温水洗浄便座は、日本での普及率が80%を超えているが、元々は、アメリカの会社アメリカン・ビデが、医療や福祉用として主に痔の患者向けに作っていた。そのため、当初一般の人は使用を避けていたが、今では暮らしを豊かにしてくれているものになっている。 ここで挙げた3つの製品に対して、ネガティブなイメージを持つ人はほとんどいないだろう。むしろ、ジッポライターはコレクタブルグッズとして認知されているし、カーディガンはファッションとして、そして温水洗浄便座は訪日外国人から大人気だ。どれも日常にすっかり溶け込んだポジティブな商品であるといえる。 ここ数年で「障害は社会の側にある」という考え方が浸透してきたおかげで、「不可能(使えない)を可能に(使える)」「不便(使いづらい)を便利(使いやすい)に」という着眼で製品開発することが注目を受けてきている。 中でも洗濯用洗剤の『アタックZERO』は、優れた商品だと思う。ワンハンドプッシュと呼ばれる、片手でプッシュするだけで必要な分量の洗剤を出すことのできる設計は、洗濯時に何かしらの障害を感じていた人にとって、革新的だった。握力の弱くなってしまった高齢者や手にまひのある人や片腕の人のほか、特に視覚障害者からは大好評だった。 SNS上では「今まで計量カップから洗剤があふれてしまうことがあった」「なんとなく感覚で洗剤を入れていた」、弱視の人からは「計量の細かい目盛りが見えづらくて、時間がかかっていたという不便さを見事に解消してくれた」との声が上がったのだ。 この商品を開発した花王は開発段階で、高齢者や視覚障害者、障害に

コロナ禍が問い直す文化の本質的価値

コロナ禍が問い直す文化の本質的価値

タイムアウト東京 > カルチャー > ニューノーマル、新しい文化政策 第1回 吉本光宏 近頃、ミュージアムやシアター、ホールのような施設だけでなく街中をはじめ、福祉や教育、ビジネスの現場でも芸術や文化的な活動に出合うことが増えてきた。何気なく触れてきたこれらのアクションの背景はどうなっているのだろうか。 ここ20年ほどの間に、文化や芸術は芸術性の追求などの面だけではなく、社会課題と向き合うことが増えてきた。文化芸術の立ち位置の更新を踏まえ、2017年には基幹ともいえる法律『文化芸術振興基本法』が『文化芸術基本法』に改正され、文化政策も大きな転換点を迎えている。 本特集では、さまざまな社会領域を連携させていこうとする文化政策の大きな流れを知り、その動きを先取りしてきた現場の取組みから学ぶことを目的とする。そしてコロナ禍の現実からどんな未来を想像し、今後の社会づくりやビジネスにどう展開していくのか。アートプロデューサー、森隆一郎(合同会社渚と 代表)のディレクションの下で、「新しい文化政策」を軸に「ニューノーマル」を考えていきたい。第1回はニッセイ基礎研究所研究理事の吉本光宏が語ってくれた。  

今週末行きたいギャラリー展示10選

今週末行きたいギャラリー展示10選

東京のアートシーンで欠かせないのはギャラリーだろう。アーティストは星の数ほどいるが、定評あるギャラリーは質の高い作品を選んで見せてくれるので、そこから美術史上意味のあるアーティストや現在のアートの潮流の一端を垣間見ることさえできる。 今回は、ビーズ刺しゅうで知られる酒井佐和子、多くの美術団体を結成してアート界をけん引した山口薫、90歳近くになってもなお精力的に活動する版画家の浜田浄などの展示を紹介する。多くが今週末で会期数量となる展示なので、興味を持った展示があれば訪れてみては。

シルバーウィークに楽しめる展示6選

シルバーウィークに楽しめる展示6選

今年のシルバーウィークは4日間。この連休中は美術館やギャラリーで過ごしてはどうだろうか。アートを見るとき、じっくり時間をかけて理解を深められる作品もあれば、すぐに通り過ぎてしまう作品もあるだろう。見方は人それぞれだが、時間をかければ違った見方ができることもある。 今回は、そんな時間をかけて楽しみたい展示をピックアップ。2会場で65組ものアーティストの作品を展示する『ヨコハマトリエンナーレ』、会期変更になった『KYOTOGRAPHIE』、会場の雰囲気と合わせてゆっくり過ごしたい『神宮の杜芸術祝祭』などを紹介する。 

今週見るべき浮世絵の展示6選

今週見るべき浮世絵の展示6選

今年は浮世絵の展覧会が花盛りだ。すでに終わってしまったものを含めれば、その数は10をくだらないだろう。このジャンルはそれほどに人気があるのだ。 今回は、葛飾北斎や月岡芳年のほか、食に焦点を当てた展示や明治以降に花開いた浮世絵の表現を堪能できる展示などを紹介する。今年開催される浮世絵展示の中でも、比較的小規模ながら誠実なキュレーションが期待できる展示を紹介する。

どこにもない場所を見せてくれる展示7選

どこにもない場所を見せてくれる展示7選

「どこにもない場所」。こういった場所ほど想像力をかき立てられる場はないだろう。『新世紀エヴァンゲリオン』の第2新東京市やレンズを通して眺められる被写体なども、想像できても実際にはない何かであると言えるかもしれない。極言すれば、実際に目にしているのは単なる絵の具や光や機器などに過ぎないのだから。 しかし、そこには常に想像力を働かせて楽しむ余地が残されている。それは、写真であったり、描くこと自体を生きた結果生まれた独自の作品であったり、クレーの色彩や線出会ったりするだろう。今回は、そんなどこにもない場所に連れて行ってくれる、想像力をかき立てられる展示を紹介する。

この夏行くべきアートイベント

この夏行くべきアートイベント

タイムアウト東京 > アート&カルチャー > 東京で行くべきアートイベント 東京のアートシーンは多様だ。見る側のニーズもそれ以上にさまざまだ。だから、自分が好きなアートに巡り合うのは簡単なようで難しい。何も知らずにアートに触れ、その虜(とりこ)となったり、分かり合えないまま破局を迎えた人たちはいったいどれほどいたのだろうか。不用意に近づいて石灰化するナトロン湖のように危険で魅力的なアート界をうまく泳いでいくためには、何かしらの指針が必要なときもあるだろう。 ここでは、現在東京都内で開催されている多様な展示をテーマに沿って紹介する。今回は、近寄ってみることで作品の真価を理解できる展示やハシゴして理解を深められる展示など。 今年のお盆期間は遠方への旅行を控えるように求められているが、都内の展示をじっくり巡ってみてはどうだろうか。

ハシゴしたい展示4選

ハシゴしたい展示4選

アーティストを知ることは作品を見ることと一見同じようだが、実は違う。作品はその作品だけで鑑賞に耐えうることもあるが、作品を数多く見なければ作り手であるアーティストの特徴は見えてこないだろう。もちろん、その逆もあり得るし、結局は両者は分かち難く結び付いているのだから。 だからこそ複数の展示を見ておくことは意味がある。現在、鴻池朋子と森山大道の展示がそれぞれ複数開催中だ。今回は、この二人のアーティストをより深く知りたい人のために展示を選んでみた。 入場制限などを設けている場合もあるので各公式サイトを事前に確認してから訪れてほしい。

News (93)

琳派の代表作「燕子花図屏風」は右から観る、根津美術館で毎年恒例の展示

琳派の代表作「燕子花図屏風」は右から観る、根津美術館で毎年恒例の展示

江戸時代の琳派を中心とした展覧会「国宝・燕子花図屏風―デザインの日本美術―」が、「根津美術館」で2024年5月12日(日)まで開催されている。この展示のメインは、琳派の巨匠、尾形光琳(1658~1716年)の「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」。同館では、庭園にカキツバタが咲く時期に合わせて、この作品を中心とした展示を毎年違う切り口から行っている。 今年は「デザイン」をテーマに、琳派などの日本美術を概観。本記事では、その中からいくつかの見どころを紹介する。 なお、この展示では「デザイン」という言葉を、いわゆる「産業デザイン」だけではなく、装飾性など「日本美術の特質」ともいうべき古くて新しい意味で使っているという点に注意が必要だ。これは、もちろん光琳が京都の呉服商「雁金屋(かりがねや)」に生まれ、服飾のデザインなどの造形感覚を磨いていたことが背景にある。 Photo: Ryuichiro Sato尾形光琳「燕子花図屏風」(6曲1双、紙本金地着色、18世紀、根津美術館蔵) 最初に観ておきたいのは、何と言っても「燕子花図屏風」だ。画題であるカキツバタは、「伊勢物語」第9段「東下り」に着想を得ていることが指摘されている。この段には、カキツバタの名所である八橋(愛知県)で和歌が詠まれているからだ。光琳が制作した「八橋図屏風」(「メトロポリタン美術館」蔵)と比較するとよく分かるだろう。 Photo: Ryuichiro Sato尾形光琳「燕子花図屏風」(6曲1双、紙本金地着色、18世紀、根津美術館蔵) 造形上の特徴としては、絵とデザイン、両方の性質を強く印象付ける点が挙げられる。近づいて観ると、群青を分厚く塗り、花弁のふっくらとした様子を描き出した花や、緑青を刷(は)いた葉はいずれも絵画的な造形感覚を生かしている。一方で離れて観ると、リズミカルに配置されたカキツバタの一部には、型紙が反復して利用されたり、左隻と右隻で視点の高さやカキツバタの配置を非対称にしたり、意匠性を強調してもいる。 Photo: Ryuichiro Sato尾形光琳「燕子花図屏風」(6曲1双、紙本金地着色、18世紀、根津美術館蔵) さらに、デザインを考えるなら、屏風(びょうぶ)という立体的な形式にも着目してほしい。画面右側の特定の角度から観ると、リズミカルに配置されたカキツバタは一続きになって見え、正面からよりも視点が上になったかのように錯覚する。あたかも観ている私たちが、描かれていない八橋の上に立っているかのように。一方、左から観てもこのようには見えず、正面から観た際の左隻と右隻の非対称性がより際立ってくるのだ。 Photo: Ryuichiro Sato「扇面歌意画巻」(1巻、紙本着色、17世紀、根津美術館蔵) この「燕子花図屏風」のように、日本美術においては、和歌や物語と美術は切り離せない関係にあった。本展では、こうしたテキストを画面にいかに取り込むか、という面から発展を遂げた絵画のデザイン性にも着目している。和歌とその歌の内容を描いた扇型の絵による絵巻物「扇面歌意画巻」や、「尾形切(業平集断簡)」など和歌を書いた美麗な色紙など、さまざまな表現手法の違いを楽しんでほしい。 Photo: Ryuichiro Sato「誰が袖図屏風」(6曲1双、紙本金地着色、17世紀、根津美術館蔵) Photo: Ryuichiro Sato柴田是真「雛図」(19世紀、根津美術館蔵)/木屋製「菊紋唐草蒔絵雛道具」(20世紀) 漆芸や陶芸、染織など工芸との比較も楽しい。漆芸家

アンゼルム・キーファーの個展が25年ぶりに開催、6月29日まで北青山で

アンゼルム・キーファーの個展が25年ぶりに開催、6月29日まで北青山で

ドイツのアーティスト、アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)の個展「Opus Magnum」が、北青山のギャラリー「ファーガス マカフリー 東京」で2024年6月29日(土)まで開催されている。日本での個展は1998年以来で、ガラスケースを使用した立体作品と水彩画の計20点が展示される。 キーファーは、「新表現主義」に位置づけられる1945年生まれのアーティスト。ゲオルク・バゼリッツ(Georg Baselitz)やヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)らに影響を受け、ナチスドイツなどの歴史的な出来事を扱う作品で知られている。日本では、「国立国際美術館」が所蔵する「星空」などが有名だ。 Photo: Ryuichiro Sato「Mohn und Gedächtnis」、2014 キーファーは作品の「主題」や「意味」を強く意識しており、作品内にキャプションのごとくタイトルやテクストを用いている。中には、神話や聖書からの引用も含まれる。素材へのこだわりも強く、ドローイングと鉛や植物、砂といった異なる素材を組み合わせる手法も特徴の一つだ。 Photo: Ryuichiro Sato「Danaë」、2014 例えば、今回の作品で分かりやすいのは、「ダナエ」だろう。ギリシャ神話で語られる王女ダナエは、神託を理由に塔に閉じ込められるが、最高神ゼウスが金の雨となって降り注ぐことでゼウスの子を懐妊、やがて英雄ペルセウスを産む。この作品では、縦長のガラスケースが垂直に展示空間を切り取る。そのため、ヤン・ホッサールト(Jan Gossaert)の「ダナエ」のように塔を彷彿(ほうふつ)とさせる上下を強調した空間構成となっている。 しかし、ホッサールトの作品とは異なり、水彩画のダナエはより性的な身ぶりをとる姿態で描かれる。ゼウスの金の雨はヒマワリの種に金彩を施して、ケースの下にまかれている。完全な雨として表現せず、「種」の形を残すことで、生殖とより直接的に結び付く。こうした主題の翻案には、キーファー独特の意味深さや遊び心を見て取れよう。 Photo: Ryuichiro Sato「Bermuda – Dreieck」、2017 ほかにもバミューダトライアングルや「ヨハネ福音書」、画家のパレットなどさまざまな主題の作品が並ぶので、一点一点じっくり素材や表現手法などに着目しながら観てほしい。 また、今回の展示に合わせて、椹木野衣など12人の著名な著者によるエッセーや各作品についてのテキストを収めた160ページの展覧会カタログ(1万円、税込み)も出版される。会場のみでの販売だが、読んでから鑑賞すると、作品をより深く理解できることだろう。 ギャラリーは展示スペースの都合で、一度の入場者数を最大5人に制限している。入場待ちが生じる可能性があるので注意してほしい。 なお、2024年から2025年にかけては、キーファーに関連するイベントが重なる。2024年6月21日(金)以降、順次全国公開される映画「アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家」は、キーファーの人生を作品とともに捉えたドキュメンタリーで、監督はキーファーと同じくドイツ生まれのヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)。その多彩な作品を3D&6Kで撮影し、眼前に作品が迫り来るかのような圧倒的没入感を実現している。 2025年3月下旬からは京都府の「二条城」でも新作による展示も予定されている。京都市とファーガス マカフリーが主催し、二の丸御殿台所や城内の庭園を舞台にしたアジアにおける過去最大

「テルマエ・ロマエ」の実像を知る展示、パナソニック汐留美術館で開催中

「テルマエ・ロマエ」の実像を知る展示、パナソニック汐留美術館で開催中

古代ローマや日本の入浴文化を紹介する展覧会「テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本」が、「パナソニック汐留美術館」で2024年6月9日(日)まで開催中だ。 展示は「序章:テルマエ/古代都市ローマと公共浴場」「第2章:古代ローマの浴場」や「第4章:日本の入浴文化」など5章から構成される。監修には、日本における古代ローマ研究の第一人者である青柳正規と芳賀京子、さらに漫画「テルマエ・ロマエ」で知られるヤマザキマリが協力する。青柳が長年調査に関わってきたイタリア・ナポリにある「ナポリ国立考古学博物館」所蔵の作品が30点以上来日するのが特徴だ。 Photo: Ryuichiro Sato「カラカラ帝胸像」(ナポリ国立考古学博物館、212~217年) そもそも「テルマエ(thermae)」とは、カラカラ帝ことルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(Lucius Septimius Bassianus)が建設した「カラカラ浴場」(216年)など、狭義には古代ローマの浴場施設を指す。古代ローマの帝政初期には、皇帝は食糧や見せ物などを提供して大衆の人気獲得を図ることが多く、テルマエもその一環であったという。 Photo: Ryuichiro Sato「炭化したパン(レプリカ)」(ナポリ国立考古学博物館、79年) 「第1章:古代ローマ都市のくらし」では、テルマエを取り巻く古代ローマの住環境にまつわる作品や遺物を展示。意外とふっくらとして食べやすそうな「炭化したパン(レプリカ)」や、日本ではほとんど見る機会がない古代ローマのフレスコ画は必見だ。 Photo: Ryuichiro Sato「ヘタイラ(遊女)のいる饗宴」(ナポリ国立考古学博物館、1世紀 ) 「ヘタイラ(遊女)のいる饗宴」には当時の宴席の様子が描かれ、リュトン(角の形をした容器)や饗宴(きょうえん)用の食器なども描き込まれている。リュトンも宴席用のモザイクガラスの皿も実際に展示されているので、併せて観ておきたい。 Photo: Ryuichiro Sato「千華文の皿」(平山郁夫シルクロード美術館、前1~後1世紀) 続く2つの章では、テルマエの実情が細部にわたって解き明かされる。 Photo: Ryuichiro Sato Photo: Ryuichiro Sato 第2章では、入浴時に肌をかいたりマッサージに使用したりしたストリギリスや、体に湯をかけるパテラ(小皿)、オイルを塗布する香油つぼなどが並び、行き届いた入浴事情を垣間見ることができる。 Photo: Ryuichiro Sato テルマエのルーツの一つは、神域に設けられた医療用の入浴施設。そうしたルーツを反映するように、当時の人々が奉納した手足の模型や浮き彫り彫刻が並ぶ。現代の私たちが神社に奉納している、治したい部位をかたどった模型と思わず重ねてしまう。 Photo: Ryuichiro Sato 「2-3 女性たちの装い」では、「化粧用スパチュラ(ヘラ)」や鏡などのほか、「国立西洋美術館」所蔵の「橋本コレクション」から古代ローマの指輪を大量に展示。アスリートの肖像など、テルマエにまつわる指輪もある。それぞれがとても小さく繊細なので、じっくりと時間をかけて眺めてほしい。 Photo: Ryuichiro Sato「恥じらいのヴィーナス」(ナポリ国立考古学博物館、1世紀) テルマエの装飾には、水に強いモザイクが好んで使われた。「第3章:テルマエと美術」の会場では、こうしたモザイクの床などを再現。当時のテルマ

「記憶」を探る展覧会「記憶:リメンブランス」が開催中

「記憶」を探る展覧会「記憶:リメンブランス」が開催中

「記憶」をテーマにした展覧会「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」が、「東京都写真美術館」で2024年6月9日(日)まで開催されている。篠山紀信(しのやま・きしん)と中平卓馬(なかひら・たくま)による「決闘写真論」(1976年)における篠山の示唆を起点としながら、高齢化社会や人工知能(AI)など、「記憶」に対して多彩なアプローチが試みられている。 参加するのは篠山のほかに、米田知子、グエン・チン・ティ(NGUYỄN Trinh Thi)、小田原のどか、村山悟郎、マルヤ・ピリラ(Marja PIRILÄ)、 Satoko Sai + Tomoko Kuraharaだ。 最初に展示されているのは、「決闘写真論」でも扱われている「誕生日」。篠山の母が、彼の誕生日に写真館に連れていって撮影させた写真が並ぶ。当学芸員の関昭郎が指摘するように、「プライベートなものが作品化すると、集団的な母と子の関係に変わる」点が印象的だ。写真家自らによる写真ではなく、自らの記憶(記録)を差し出す始まり方は、ほかではなかなか見られない。 Photo: Keisuke Tanigawa篠山紀信「家」(鹿児島県川辺郡、1975年、銀色素漂白方式印画、東京都写真美術館蔵) Photo: Keisuke Tanigawa篠山紀信「家」(鹿児島県川辺郡、1975年、銀色素漂白方式印画、東京都写真美術館蔵) 続いて展示される篠山の「家」は、1976年の「ヴェネツィア・ビエンナーレ」出品作で、中平を「こういう写真の在り方もあるのか」と感心させた作品だ。篠山が「人間の生活のにおいや手あか」を捉えようとしたこのシリーズは、一見して忘れ難いすごみがある。 Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa米田知子 《アイスリンク-日本占領時代、南満州鉄道の付属地だった炭坑のまち、撫順》〈Scene〉より(2007年、発色現像方式印画、東京都写真美術館蔵) 篠山に続く部屋に広がる米田知子の作品は、今回初公開の篠山と比べるとより集合的な記憶を扱う印象がある。 作品に付けられたタイトルの端々から、伊藤博文が暗殺されたハルピンや韓国と北朝鮮の境界である北緯38度線、日露戦争のサハリンなど、かなりの年月を経た歴史上の出来事が示唆される。しかし、作品の多くはとても静かな光に満ちていて、そうした出来事を容易には喚起してこない。俯瞰(ふかん)的な景色は、過去と現在の間に過ぎ去った長い時間をほのめかすようだ。 Photo: Keisuke Tanigawa米田知子「DMZ」(未)完成の風景 I、(未)完成の風景( 2015/2023年、発色現像方式印画、東京都写真美術館蔵) 今回初公開となる「DMZ」シリーズの「(未)完成の風景」も、構図の上では同館所蔵の米田を代表するシリーズ「Between Visible and Invisible」を思い起こさせる。 Photo: Keisuke Tanigawa作者不詳《(上野彦馬翁胸像)》《(上野彦馬像(老年))》《(晩年の上野彦馬胸像)(制作年不詳、全てゼラチン・シルバー・プリント、東京都写真美術館蔵) 彫刻や研究など多彩な活動を展開する小田原のどかは、当初は展覧会図録のテキストのみで参加予定であったが、その後、作品の展示もすることになったという。展示は、同館所蔵の作品から小田原が選んだ、作者不詳の写真から構成されている。日本写真黎明(れいめい)期の写真家である上野彦馬の胸像が、第二次世界

西洋美術館65年の歴史で初めての現代アート展が開催

西洋美術館65年の歴史で初めての現代アート展が開催

「国立西洋美術館」で初の現代美術の展示、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」が、2024年5月12日(日)まで開催中だ。開館65年目にして初めてとなる本格的なコンテンポラリーアートの展示である同展には、飯山由貴、梅津庸一、遠藤麻衣など25人21組のアーティストが参加している。 1959(昭和34)年に「松方コレクション」を母体として開館して以来、中世から20世紀前半までの作品を中心に収集、公開してきた同館。もともと、将来のアーティストらが所蔵品によって触発され、「未来の芸術が眠る」ような場になってほしいという思いが託されていた。 しかし、実際に国立西洋美術館がそうした未来の芸術を産み育てる土壌となり得てきたのかは、これまで問われてこなかった。今回の展覧会は、多様なアーティストたちにその問いを投げかけ、作品を通じて応答してもらうものだ。 展示内容は「0. アーティストのために建った美術館?」や「2. 日本に『西洋美術館』があることをどう考えるか?」から「5. ここは作品たちが生きる場か?」などの全7章から構成される。本記事では、その一部を取り上げて紹介していく。 作品に近づいて観る。 展示冒頭ではフランク・ブラングィン(Frank Brangwyn)「松方幸次郎氏の肖像」やル・コルビュジェ「国立西洋美術館およびその周囲の構想」など、国立西洋美術館の前史が紹介される。 Photo: Keisuke Tanigawa 続く「1. ここはいかなる記憶の磁場となってきたか?」で出迎えてくれるのは、中林忠良(なかばやし・ただよし)の銅版画や内藤礼(ないとう・れい)の新作だ。中林の作品とともに並ぶのは、中林が影響を受けた版画家、ヴォルスのほか、レンブラント・ファン・レイン、フランシスコ・デ・ゴヤなど。内藤の「color beginning」はポール・セザンヌの作品と並置される。一見無地のように見える内藤の作品だが、見ていると色彩が浮かび上がってくる Photo: Keisuke Tanigawa いずれの作品も、ぜひ近寄って観てほしい。中林やオールドマスターの版画では、紙に刻まれたエッチングなどの技法を追体験できるだろう。内藤の作品は、遠近さまざまに距離をとって観ると色彩の感じ方が異なり、間近で観れば画面に置かれた色彩の形までもまざまざと感じられるはずだ。 展示の裏側を知る。  Photo: Keisuke Tanigawa 「東京都写真美術館」の「記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から」でも展示中の小田原のどかは、会場に作家による展示内容の詳細な説明が掲示されているので、それを読むと理解が深まるだろう。 ここで目を引くのは、オーギュスト・ロダンの「考える人」や「青銅時代」が横倒しになっている光景だ。彫刻自体とかけ離れた、意外なほど無機質な彫刻の裏側を観ることができる。彫刻が横倒しにされる際、作品に負担がかからないように床との接地面に緩衝材のような別の「台座」のようなものが敷かれているのも、展示する側の苦労をしのばせる。 Photo: Keisuke Tanigawa 鷹野隆大(たかの・りゅうだい)は、同館に展示されている作品が、IKEAなどの家具が並ぶ一般的な住宅の部屋に並んだらどのように見えるのか、という発想で制作した。 Photo: Keisuke Tanigawa どこにでもありそうな家具やインテリアに混じって、ルカス・クラーナハ(父)の「ホロフェルネスの首を持つユディト」やギュスターヴ・クールベの「

シュルレアリスム宣言から100年、大規模展が板橋区立美術館で開催中

シュルレアリスム宣言から100年、大規模展が板橋区立美術館で開催中

サルバドール・ダリやルネ・マグリットら、20世紀の美術や文学、思想、映画など多方面に影響を及ぼした運動、シュルレアリスムを知る人は多いことだろう。その端緒の一つが、1924年に詩人のアンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」であった。この「宣言」発表から100年を記念して、2024年4月14日(日)まで展覧会「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」が、「板橋区立美術館」で開催されている。 Photo: Keisuke Tanigawa フランスで誕生したシュルレアリスムは、当時の日本の画家たちをも魅了した。本展示が焦点を当てるのは、そうした日本におけるシュルレアリスムの展開だ。展示は、「序章 シュルレアリスムの導入」「第1章 先駆者たち」「第2章 衝撃から展開へ」「第3章 拡張するシュルレアリスム」「第4章 シュルレアリスムの最盛期から弾圧まで」「第5章 写真のシュルレアリスム」「第6章 戦後のシュルレアリスム」に分けて、シュルレアリスムと日本の関わりを見直していく。本記事では、その見どころを紹介していきたい。 Photo: Keisuke Tanigawa 「序章」では、シュルレアリスム波及の糸口であったブルトン「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」の初版本(1924年)を展示。西脇順三郎らによって編まれた日本最初のシュルレアリスムにまつわる書籍「馥郁タル火夫ヨ」(1927年)や、ダリなどシュルレアリスムやその美術についても積極的に関心を寄せた瀧口修造が訳した、ブルトン「超現実主義と絵画」(1930年)などの書籍も目にすることができる。ヨーロッパの流行をわずか数年のブランクでキャッチアップできる、当時の日本人の感性には驚かされる。 第1章では東郷青児「超現実派の散歩」、古賀春江「鳥籠」といった、日本でも初期のシュルレアリスム作品が並ぶ。こうした比較的具体的で端正な仕上がりの作品のほかに、福沢一郎「他人の恋」も観ておきたい。  Photo: Keisuke Tanigawa福沢一郎「他人の恋」 福沢は、「シュルレアリスム宣言」が発表された、まさに1924年にパリに学び、帰国後はシュルレアリスムの紹介など、いわゆる前衛画家の指導的立場として活動している。この「他人の恋」では、宙に浮かぶ古代風の服装の女性、仰向きになった猿など、通常はありえない事物を組み合わせるデペイズマンという手法が用いられている。 第2章では、吉原治良や井上覚造らによる「妙屍体(優美な死骸)」を観ておきたい。「妙屍体(優美な死骸 Le cadavre exquis)」とは、シュルレアリストの共同制作の一種で、互いが何を制作しているか知らない状況下で、複数人が一つの作品に取り組む手法を指し、詩や絵画などで実践された。当時のシュルレアリスムの手法が極東の地にあって、忠実に踏襲されていたのは興味深い。 Photo: Keisuke Tanigawa 第3章では、北脇昇「独活(うど)」などの美術作品もさることながら、数多くの資料に圧倒される。「表現」「貌」「JAN」などの団体、「動向」「エコルド東京」「L’ANIMA」などの出版物が展示されており、程度の差こそあれ、実に多岐にわたる人々がシュルレアリスムに関心を寄せていたことが分かる。 Photo: Keisuke Tanigawa北脇昇「独活(うど)」   Photo: Keisuke Tanigawa とりわけ見どころにあふれているのが、第4章である。伊藤研之「音階」は、比較的イメージ

写真を慈しんだ作家、安井仲治の回顧展「僕の大切な写真」

写真を慈しんだ作家、安井仲治の回顧展「僕の大切な写真」

日本写真史に大きな足跡を残す写真家、安井仲治(1903〜1942年)の作品を概観する展覧会「生誕120年 安井仲治―僕の大切な写真」が、2024年4月14日(日)まで、「東京ステーションギャラリー」で開催されている。 安井は大正期から太平洋戦争勃発に至る時期に活動した写真家で、土門拳や森山大道からも評価されている。安井の生誕120周年を記念して開催される本展では、作家自身が手がけたビンテージプリント141点と、本展を機に新たに制作された23点を含むモダンプリント64点を展示。本記事ではその見どころを紹介する。 まず、「第1章 1920s:仲治誕生」では、写真家である安井の出発点ともいえる初期作品を展示。安井は高等学校在学中に親からカメラを買い与えられ、10代後半には関西の名門アマチュア写真団体「浪華写真倶楽部」に入会した。 当時は浪華写真倶楽部に限らず、芸術表現としての写真を追究する「芸術写真」の機運が高まっており、その多くが情緒ある「絵画的」な写真表現を志向していた。それを実現したのが、銀成分で像を作るゼラチンシルバープリントなどと異なり、顔料でイメージを形作るピグメント印画法。安井もゼラチンシルバープリントを手がけてはいるものの、本章で見ておきたいのはピグメント印画の一種「ブロムオイル印画」である。 Photo: Keisuke Tanigawa 初期代表作の一つである「クレインノヒビキ」(1923年)は、船の重厚な雰囲気を伝えるためにブロムオイル印画を用いた作品だ。ブロムオイル印画は顔料を用いているため、近づいて見ると、シルバープリントとは違う手触りを感じさせる。 もちろん、技法以外にも特筆すべき点がある。初期の代表作である「猿廻しの図」(1925年/2023年)は多様な人物をまとめ上げた点が評価された作品。この作品について、安井自身は「見る者と見られる者、その間には何の関係もない様で、しかし又、目に見えぬ何か大きな糸ででも結ばれてゐる様に思はれます」と視線を介しての人物の内面的なつながりに関心を寄せている。 さらに、作品の制作過程を知ることができるのも本展の魅力だろう。本章を含む多くの章において、作品とともにネガも展示されており、安井が完成作品に向けてどのようにトリミングや合成を施したか、といった制作過程を知ることができる。 「第2章 1930s - 1:都市への眼差し」では、1920年代後半から1930年代前半頃の安井の作例を紹介する。1926年の村山知義らによる当時のヨーロッパの新傾向の写真の紹介を嚆矢(こうし)として、1931年のドイツからの国際巡回展「独逸国際移動写真展」が、当時の日本の写真界に決定的な影響を与えた。 Photo: Keisuke Tanigawa これらの出来事を通して、1930年代初頭には日本、とりわけ関西の写真界において、「芸術写真」からいわゆる「新興写真」と呼ばれる表現に流行がシフトする。安井も新興写真に影響を受け、複数のネガを印画、あるいは合成した「凝視」(1931年/2023年)などの新傾向の作品を試みたとされる。 Photo: Keisuke Tanigawa 一方で、先行研究も指摘しているが、安井は一直線に作風の転向を突き進んだわけではない。新傾向に傾倒しつつも、メーデーを扱った「旗」(1931年)などは、安井がすでに多用してきたブロムオイルを用いている。 兵庫県立美術館の小林公学芸員は、メーデーという社会的な事象を題材とする意味ではこの作品は新傾向に分類されるとしながら、技法の面では

国立西洋美術館でパレスチナ人虐殺反対のパフォーマンス、警察による介入も

国立西洋美術館でパレスチナ人虐殺反対のパフォーマンス、警察による介入も

2024年3月11日、「国立西洋美術館」で開催された「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の内覧会で、パレスチナでのイスラエル政府による「ジェノサイド」に反対の意を示す抗議活動が実行された。公安と見られる警察が抗議活動を制止する場面もあり、緊迫する事態となった。 Photo: Keisuke Tanigawa Photo: Keisuke Tanigawa 国立西洋美術館のオフィシャルパートナーである川崎重工業株式会社が、イスラエルと武器貿易を行うことに対する抗議だが、「展覧会出品作家有志を中心とする市民」によって計画実行されたもので、同館や展覧会主催者にとっては、全くの予想外の出来事であったという。 Photo: Ryuichiro Satoプレス内覧会でまかれたビラ裏 Photo: Ryuichiro Satoプレス内覧会でまかれたビラ裏 プレス内覧会では抗議の趣旨を書いたビラがまかれ、垂れ幕を垂らして武器輸出の即時停止を求める趣旨文の読み上げや、展覧会参加アーティストでもある飯山由貴のスピーチが行われた。一方、抗議に対し、参加アーティストの小沢剛が「主張が長過ぎる」と遮る場面もあった。 Photo: Ryuichiro Sato一般向け内覧会でまかれる前に阻止されたビラ 一般向け内覧会では、関係者挨拶が終わった後、展覧会場入り口で、ビラをまこうとした有志らが、公安と見られる警察によって館内での活動を控えるよう求められ、会場から連れ出される場面も。 Photo: Ryuichiro Sato警察聴取の脇で掲げられる垂れ幕 Photo: Keisuke Tanigawa しかし、現場での警察による聴取が進められる一方で、垂れ幕が掲げられたり、展覧会会場入り口前のロビーではアーティストの百瀬文と展覧会参加アーティストでもある遠藤麻衣のアクションが続行されたりした。遠藤によれば、今回の抗議活動への参加の呼びかけがあったのは展覧会開始直前。「圧倒的な非対称の関係の下でのジェノサイドは容認できない」との思いから、今回の参加を決めたという。 ビラによれば、パフォーマンスの趣旨は「イスラエル政府のジェノサイドに強く、強く反対」すること、そして「私たちがいるこの国立西洋美術館のオフィシャルパートナーである川崎重工業株式会社が『防衛省にイスラエルの武器を輸入・販売しよう』としている」ことを踏まえ、「国立西洋美術館は、川崎重工業株式会社に対し、イスラエル武器輸入・販売を取りやめることを働きかけてください」と呼びかけるものであった。 国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた松方幸次郎が、川崎重工業の前身である川崎造船所の社長だったのは周知の事実。松方によるコレクションは「第一次世界大戦時の世界的な商船不足を補う商売」などによる「帝国主義下の戦争特需の利益で行われたコレクション」であり、慰安婦問題などを否定する歴史修正主義者が「勢力を伸ばし」ていることも鑑み「無批判に賞賛することは難しい」と前述のビラは訴える。 そのため、川崎重工業による武器輸入は松方や戦時下の日本の植民地支配などに正当性を与えることになるため、国立西洋美術館という文化芸術における重要な施設がその正当化のために利用されることを拒否する、というのが抗議者の主張だ。もちろん、それは日本の過去に対してだけでなく、今後さらに多くのパレスチナ人が虐殺される可能性を妨げるためでもある。だからこそ、美術館だけでなく、鑑賞者や作品なども含めた全ての人を利用しないで

戦争の悲惨さを描くゴヤ「戦争の惨禍」、全場面を初の一挙公開

戦争の悲惨さを描くゴヤ「戦争の惨禍」、全場面を初の一挙公開

19世紀スペインを代表する画家、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828年)の版画「戦争の惨禍」全点を公開する展覧会「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」が、「国立西洋美術館」で2024年5月26日(日)まで開催されている。 ゴヤは、18世紀から19世紀にかけて活動したスペインの画家。代表作に「カルロス4世の家族」「裸のマハ」「着衣のマハ」などがある。版画も数多く制作しており、今回の展示では、版画集「戦争の惨禍」の全場面を公開する。 画像提供:国立西洋美術館フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉より7番《何と勇敢な!》1810-14年ごろ エッチング、アクアティント、ドライポイント、エングレーヴィング、バーニッシャー/紙 国立西洋美術館 繰り返される暴挙や愚行について版画集から見つめ直す 「戦争の惨禍」は、1810〜20年頃に制作されたと考えられているが、ゴヤの存命中には公開されず、没後35年を経て1863年に80点からなる初版が出版された。同館は1993年度にその初版を収蔵し、2017年度には、初版には含まれなかった未発表作2点も収蔵。しかし、半数近い37点はこれまでに展示したことがなかったという。本展示が、初めて連作全点と未発表作2点を合わせた計82点を紹介する機会となる。 「戦争の惨禍」で題材にしているのは、ナポレオンがスペインに侵攻、樹立した王政と、フランスに反発するスペインとの間で、1808〜14年に展開されたスペイン独立戦争だ。スペイン人とフランス人、あるいは親仏派と反仏派のスペイン人とで繰り広げられた戦いの光景や飢餓、苦しむ民衆の姿、そして政治風刺を描きながらも、フランス対スペインという図式を超え、戦争という非常事態に生み出されるさまざまな暴挙や愚行を暴き出している。 画像提供:国立西洋美術館フランシスコ・デ・ゴヤ〈戦争の惨禍〉より30番《戦争の惨害》1810-14年頃 エッチング、ドライポイント、エングレーヴィング、バーニッシャー/紙 国立西洋美術館 なお、本展示のタイトルは、80番目の作品「彼女はよみがえるだろうか」からとったのであろう。この「彼女」とは、79番目の「真理は死んだ」で描かれる「真理」を指すものだからだ。聴覚を失い、戦争に翻弄(ほんろう)されるゴヤの、失望と期待がない交ぜになった胸中を示唆するとともに、現在の私たちが向き合うロシアのウクライナ侵攻をはじめとした諸問題もほうふつさせる。 さらに、この作品を同館が収蔵する前年の1992年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が勃発している。あるいは購入当時の学芸員も、本展示と同様の同時代の問題をゴヤの作品に重ねて見ていたかもしれない。その意味で、ゴヤの作品に描かれている出来事はアクチュアルな問題であるだけではなく、ずっと繰り返されてきた出来事だということをも思い知らされるのだ。 もちろん、そうした問題を考えずに作品をただ楽しんでみるのもいいだろう。国内で全場面を所蔵する美術館はほとんどないのだから。 関連記事 『国立西洋美術館でパレスチナ人虐殺反対のパフォーマンス、警察による介入も』 『2024年、見逃せない芸術祭8選』 『都内5つの美術館・博物館で入館料が無料になる「Welcome Youth」が今年も実施』 『坂倉建築研究所デザインの新綱島駅直結の商業施設「SHINSUI」が誕生』 『「ARTISTS' FAIR KYOTO 2024」が開幕、5の見どころを紹介』 東京の最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこち

「あいちトリエンナーレ」の負担金問題、名古屋市の敗訴が確定

「あいちトリエンナーレ」の負担金問題、名古屋市の敗訴が確定

2024年3月7日、「あいちトリエンナーレ2019」(芸術監督:津田大介)の負担金を巡り、同トリエンナーレ実行委員会と名古屋市で争われた裁判で、名古屋市の敗訴が確定した。 この裁判は、2019年に開催された同トリエンナーレ内の展示「表現の不自由展・その後」の内容を理由に、名古屋市市長の河村たかしが実行委員会に支払うはずの負担金、約3,380万円の支払いを拒否し、実行委員会が支払いを求めて起こしたものだ。NHKの報道によると、最高裁判所は7日までに名古屋市の上告を棄却、同市に3,380万円余りの支払いを命じた判決が確定したという。 「表現の不自由展・その後」は、「表現の不自由」をテーマに、慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」(キム・ソギョン&キム・ウンソン)や、昭和天皇の画像を燃やす「遠近を抱えて PartⅡ」(大浦伸行)などを展示した。その展示内容に対して抗議やテロ予告などが相次ぎ、トリエンナーレ実行委員長で愛知県知事の大村秀章に対して河村は中止を要請、開催3日目にして展示が中止された。 その後名古屋市は、公金を支出するのが著しく不適切だなどとして負担金約1億7,100万円の一部、3,380万円余りの支払いを留保していた。これに対して、実行委員会は市に支払いを求めて提訴し、1審、2審ともに市に支払いを命じ、市が最高裁に上告。東京新聞によれば1審の名古屋地方裁判所は、展示の強い政治性を認めながらも「負担金の交付によって、市が作品の政治的主張を後押ししているとは言えない」との見解を示し、「芸術祭は公共事業であるから政治的中立が求められる」との理由で不払いを正当化した市の主張を退けたという。市が一部作品を「ハラスメント」「違法性は明らか」とみなしたことについても、東京新聞の社説は、「表現活動に反対意見があることは不可避であり、多彩な解釈が可能な芸術作品が斬新な手法を用いることもある。鑑賞者に不快感や嫌悪感を生じさせるのもやむを得ない」との認識を示して、市の主張を退けたと報じている。 2審の名古屋高等裁判所も一審判決を支持し、市側の控訴を棄却していた。最高裁判所第3小法廷(裁判長:林道晴)はこれらの判決を支持し、6日付で市の上告を退ける決定、2審の判決が確定した形だ。朝日新聞によれば、今回の判断は、上告できる理由に当たる憲法違反などがないという理由にとどまるという。最高裁の判決を受けて大村は、「主張が全て取り入れられ、妥当で当然の判決」と述べた。一方の河村は、「残念を通り越している」「『表現の不自由展・その後』の展示内容に税金は使えないと主張してきたが、最高裁が判断を下さずに棄却したのは問題」と述べている。 なお、名古屋市は2023年1月、負担金支払いの留保で生じる遅延損害金の増加を避ける目的から、負担金とそれまでに生じた遅延損害金、合計約3900万円を仮払い済みだ。 関連記事 『情の時代にあって、考え対話し続けること』 『2024年、見逃せない芸術祭8選』 『都内5つの美術館・博物館で入館料が無料になる「Welcome Youth」が今年も実施』 『JR東日本が被災地支援、「北陸応援フリーきっぷ」を販売中』 『「ARTISTS' FAIR KYOTO 2024」が開幕、5の見どころを紹介』 東京の最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこちら

現代アーティスト小金沢健人が佐野繁次郎のドローイングとコラボレーション

現代アーティスト小金沢健人が佐野繁次郎のドローイングとコラボレーション

「ドローイング」という視点から2人の作家の作品を見つめる展覧会「小金沢健人×佐野繁次郎 ドローイング/シネマ」が、2024年2月23日(金・祝)から「神奈川県立近代美術館 鎌倉別館」で開催される。 出展するのは、絵画・映像・立体で国際的に活動する小金沢健人(1974年〜)と、独特の描き文字と線画による装幀(そうてい)・挿画が油彩画と並び多くのファンを持つ佐野繁次郎(1900〜1987年)だ。 渡仏経験のある佐野は、佐伯祐三やアンリ・マティス、ジョアン・ミロとも交流を重ねた画家。絵画のほかにも装幀や本の挿絵、商品パッケージなど、デザインの分野でも幅広く活動した。「暮しの手帖」の初代編集長として知られる花森安治も、佐野の下で広告の仕事に携わっていた時期があり、花森のデザインにも多大な影響が見られる。 デザイン感覚に優れた佐野の作品には、映画のワンシーンを思わせる洒脱(しゃだつ)なイメージが広がる。特にドローイングを見ていると、佐野が師事したマティスの線を彷彿させる、誰にでも引けるようで実は難しい線が印象的だ。 一方の小金沢も、これまでドローイングに焦点を当てた展示を開催してきた。また、ダンサーやミュージシャンなど、他領域のアーティストとのコラボレーションを数多く手がけており、佐野と同じように幅広い分野に関心を寄せている。 2人の作風は、とりわけ線描(ドローイング)の作品において、ニュアンスに富んだ描線と余白という点で共通している。 佐野作品をもとに新作インスタレーションを制作 本展では、小金沢が「線を引いて像(イメージ)を描き出す『ドローイング』は、カット/イラストレーションとどう異なるのか」「イメージの連なりがもたらす動きの感覚とは」といった疑問から出発して、同館所蔵の佐野の作品を、新作の映像の原画として自らセレクトした。佐野の作品と時代を超えてコラボレーションし、時間と空間、平面と立体へと展開する新作のインスタレーションを楽しみにしたい。 会場では、佐野のカット原画類をオリジナルの状態で多数展示。その多くが初公開となる。佐野が装幀を手がけた貴重な書籍も見ることができる。 さらに、佐野が描いたパリの町並みや人々などモダンな風景が、小金沢の解釈した作品とともに魅力的な展示空間を作り出す。「描く」という行為の根源に通じる線や動き、時間に着目しながら、2人の作品が見比べるのもいいかもしれない。 会期は5月6日(月)まで。初日の2月23日には同館館長の水沢勉と小金沢による無料のアーティストトークも開催予定だ。ぜひ足を運んでみては。 関連記事 『神奈川県立近代美術館 鎌倉別館』 『丸の内など都内3エリアで大規模な建築公開イベント「東京建築祭」が初開催』 『クリエーターによって生まれ変わった渋谷の公共トイレを巡るツアーが開催』 『東京、2月から3月に行くべきアート展』 『「月へ行く30の方法」テーマに恵比寿映像祭2024が開幕』 東京の最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこちら

「月へ行く30の方法」テーマに恵比寿映像祭2024が開幕

「月へ行く30の方法」テーマに恵比寿映像祭2024が開幕

2024年2月2日、「恵比寿映像祭2024」が「東京都写真美術館」をメイン会場として開幕した。今回は「月へ行く30の方法」をテーマに、27の国と地域から125組が参加する。月へ行くことも不可能ではなくなりつつある現在、そうした最先端の技術や理論とは一見結びつかないようなアーティストの試行や実践を見直し、この命題に対する新たなヒントを探る試みだ。 作品の選定など展示全体を通して意識されているのは「映像体験の一回性」だ。技術の発達とともに同じ映像を繰り返して見る・体験することは当然のようになってしまっている。しかし、時間や場所などが異なる条件下での作品体験は、それぞれが一度しか経験できない。一方で、一つの体験で全てを経験し、把握できるわけでもない。本展は、そうした「一回性」や、鑑賞者が全てを体験できるわけではない点、ひいては他者との分かりあえなさという視点から構成されている。 現在の技術をもって全知全能であるかのような映像体験を思い浮かべがちであるのに対し、その原点を見つめ直そうという意味ではアナクロニックな視点であり、その点において今回の一見すると突拍子もないように感じられるテーマとも共通している。 本記事では、メイン会場である東京都写真美術館の展示の中から見どころを紹介する。同館のコレクションを含む多様な作品を展示するだけでなく、2階展示室の中央では連日パフォーマンスやディスカッション、ワークショップなども開催予定だ。 まず、一回性を最も分かりやすく感じられる作品が、フェリックス・ゴンザレス=トレス(Félix González-Torres)「Untitled」。空飛ぶ一羽の鳥の印刷物が積み重ねられている作品である。印刷物一枚一枚は紙片である一方、その総体として彫刻のようなたたずまいを見せる。 Photo: Keisuke Tanigawaフェリックス・ゴンザレス=トレス「Untitled」 この紙片を鑑賞者が会場から持ち出せるのも特徴だ。持ち出すことで、一見変わらないように見える作品の姿は微妙に変化し続けることになり、彫刻としての作品はその時々でしか見ることのできない姿を見せてくれるのだ。 他方で、その一回性は持ち出される個々のプリントにもいえる。個々のプリントは変わらない状態で保存されたり、しわくちゃになって放棄されたり、と一枚一枚が異なる運命をたどることになるはずだ。その全ての行方を鑑賞者は知ることができないであろう。そうした意味でも、時間とともに変化する作品の全てを見ることはできない「1回限り」の性質を実感させられるはずだ。 こうした個々のパーツの行方の不可知性を強く印象付けるのが、関川航平のライブイベント「月蝕のレイアウト」だ。このイベントでは、会期中、小さなステッカーが毎日不定期で館内各所に貼られるほか、来場者に手渡されることもある。来場者はステッカーを持ち帰ることもできるので、ゴンザレス=トレスの作品同様、拡散する作品がその後どのような扱いを受けるかは分からない。鑑賞者が作品の時間を余さず共有することは不可能だ。 ただし、そのような一回性をはらみながらも、関川の場合は、ステッカーに描かれたイメージにそれぞれささやかなエピソードが与えられ、会期終盤のパフォーマンス(行為)によってそれらは一つの星座のように結ばれるという。短期的な時間軸の中では、作品の行く末を見届けられる機会があるのも特徴だ。「月蝕にみる星々の位置関係」をメタファーにしており、その意味でも本テーマに最も近しい作品の一つといえよう。 また、作品を通して他者を理解する