Get us in your inbox

Articles (3)

大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り

大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り

タイムアウト東京 > Things To Do > 大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り 2020年以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響から各地の盆踊りは開催自粛を余儀なくされた。昨年の夏はいくらか再開ムードが高まったものの、さまざまな規制がとられ、やはり完全復活とはいかなかった。しかしこの2023年、多くの団体が規制のない開催へと踏み切り、いよいよ盆踊り復活の機運が高まってきた。 本稿執筆時は「東京最古の盆踊り」とされる「佃島の盆踊」(中央区佃)など、開催が決定していないところがあるものの、どの会場も大きな盛り上がりが見られることだろう。東京では各地で大小さまざまな盆踊りが行われているため、ここで全てを網羅することはできないが、その一部を厳選して紹介しよう。 関連記事『東京、かき氷30選』『東京、七夕祭り5選』

ドミューンの宇川直宏が示す、文化芸術界の「大阪万博ショック」

ドミューンの宇川直宏が示す、文化芸術界の「大阪万博ショック」

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『BLAST FROM the past』の日本語版。 1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵を舞台に日本万国博覧会(通称『大阪万博』)が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加した大阪万博は、1964年の東京オリンピックとともに高度経済成長期の日本を象徴する国民的イベントとされている。 映像作家やグラフィックデザイナー、そして「現在美術家」など多方面で活動する一方、ライブストリーミングチャンネル『ドミューン(DOMMUNE)』をキュレーションしてきた宇川直宏は、2歳のときに両親と『大阪万博』の会場を訪れている。 最先端の文化博覧会という一面も持っていた『大阪万博』は、日本のサブカルチャーにどのような影響を与えてきたのだろうか。2025年の『大阪・関西万博』で芸術や音楽が果たすであろう役割も含め、宇川に語ってもらった。

岡本太郎の右腕、千葉一彦が語る「太陽の塔」と大芸術家の素顔

岡本太郎の右腕、千葉一彦が語る「太陽の塔」と大芸術家の素顔

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『Tower records』の日本語版。 1970年に開催された『日本万国博覧会』(以降、『大阪万博』)において最大のシンボルとなったのが、芸術家の岡本太郎が制作した『太陽の塔』である。岡本は戦後間もない時期から縄文土器や沖縄および東北の伝統的な習俗、メキシコの壁画への関心を深め、高度経済成長期の日本における魂のありかを追い求めた。 高さ70メートルを誇る「太陽の塔」は岡本のそうした思想を象徴する作品であり、大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する痛烈なアンチテーゼでもあった。 この『太陽の塔』を岡本とともに作り上げたのが、「テーマ館」のサブプロデューサーを務めた千葉一彦だ。千葉は日活の美術監督として『幕末太陽傳』(1957年)、『日本列島』(65年)、『八月の濡れた砂』(71年)などの映画作品を手がけた経歴を持つ。 万博においては岡本の右腕役を担い、2人がタッグを組んで作り上げた最高傑作が『太陽の塔』であり、その内部に作られた一大展示作品『生命の樹』だった。2018年には48年ぶりに『太陽の塔』の内部が公開され、それに合わせて『生命の樹』も修復された。 岡本とのエピソードを交えながら、大阪万博の貴重な裏話を千葉に語ってもらった。