地域と風土をテーマとする文筆家。 旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」。著書に「南洋のソングライン」「盆踊りの戦後史」「奥東京人に会いに行く」「ニッポンのマツリズム」「ニッポン大音頭時代』など。2024年5月に最新刊「異界にふれる ニッポンの祭り紀行」(産業編集センター)が刊行された。

Hajime Oishi

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3000枚のレコードとともに生きる、吉祥寺「ハバナムーン」30年の軌跡

3000枚のレコードとともに生きる、吉祥寺「ハバナムーン」30年の軌跡

タイムアウト東京 > 音楽 > インタビュー:木下聡之 毎年、住みたい街ランキングの上位に選ばれる東京・吉祥寺。平日でも多くの人々が行き交い、駅周辺には新たな飲食店が次々にオープンしている。 そんな吉祥寺の街の変遷をじっと見続けてきた音楽酒場がある。それが1995年に開店した「ハバナムーン」だ。店主の木下聡之は10代からのミュージックラバー。店内には木下がこつこつと集めたレコード3000枚が並べられ、その温かい音色と店主との会話を求めて、毎晩吉祥寺の音楽好きが集まる。 アメリカのスワンプロックや知られざるシンガーソングライター、ソウルの名盤やアイリッシュトラッドの逸品など、そのラインアップはここだけのものだ。 古き良き吉祥寺の雰囲気を残す中道通りに立つ現在の店舗は、創業時から数えて3軒目となる。これまでの歩みや木下の音楽遍歴、交流が深かったフォークシンガーの高田渡のこと、さらには彼が考える音楽酒場の役割まで、じっくりと話を聞いた。 関連記事『東京、レゲエバー5選』『吉祥寺でしかできない20のこと』 Photo:Keiko Oishi/木下聡之 ―お生まれは埼玉の鴻巣ですよね。 今は鴻巣市になってるけど、もともとは吹上町だったところだね。1966年生まれ。 ―最初に好きになった音楽はどんなものでしたか。 中学の頃の担任の先生が音楽好きで、ビートルズのレコードを貸してくれたの。「She Loves You」で一気に持っていかれた感じかな。ただ、友達は吉田拓郎とかかぐや姫みたいな当時のフォークを聞いてたし、友達と始めたコピーバンドでもフォークをやってた。うちの学校、エレキ禁止だったからね。 高校に入ってから、RCサクセションがブレイクし始めた。その頃に西田信哉ってやつと仲良くなるんだけど、そいつは後にグラスバレーっていうバンドでメジャーデビューすることになるの。信哉はルースターズとかポリスみたいなちょっと性急な感じのものが好きで、自分もそのあたりを聞くようになった。 ―今につながるような音楽に関心を持つきっかけは、大学進学で東京に出てきてから? えっとね、その伏線があって。高校2年の頃にエレキのロックバンドをやるんだけど、熊谷のフジクラ楽器が年に2回主催するコンサートにそのバンドで出たことがあって。そこに出てたのが、コレクターズの加藤(ひさし)さんがやってたTHE BIKEっていうバンドだったの。 ―その頃のTHE BIKEのライブを見てるのは、すごいですね。 もちろん向こうは覚えてないと思うけど。熊谷でベスパに乗っててモッズパーカーを着てた人、あの人だけだからね。加藤さんからはジャムとかザ・フー、キンクス、スモール・フェイスを教えてもらった。 ―大学は明治大学ですよね。 そうそう、1984年入学。大学で東京に出てきてからは、お茶の水の黒沢楽器でバイトするようになった。当時住んでたのは笹塚だったから、下北沢に毎日のように行くことになって。今の「La Cana」の前身の「Ray's Boogie」っていう店では松竹谷清さんがバイトしてたし、あとは近藤房之助さんがやってた「Stomp」っていうブルースバーにもよく飲みに行ってたな。 ちょうどその頃にルーツミュージックの出合いがあって、もうどっぷり。吾妻光良さんのライブに行ったらそれも衝撃的でね。ジャンプ・ブルースとかジャイブとか、そのあたりを徹底的に聞くようになった。 当時ロンドンではスウィングのブームが起きていて、ワーキング・ウィークみたいなバンドが出てきたり、『ビギナーズ』(原題は『Absolute
東京の盆踊りでしかできない5のこと

東京の盆踊りでしかできない5のこと

タイムアウト東京 > Things To Do >東京の盆踊りでしかできない5のこと 東京では、戦後になって始まった盆踊りが各地域で続いている。運営団体は町内会や商店街、寺社、企業などさまざまで、東京ならではのバラエティー豊かな盆踊り文化が華開いている。 ここでは「東京の盆踊りでしかできないこと」を、『盆踊りの戦後史 「ふるさと」の喪失と創造』(筑摩選書)などの著作がある文筆家の大石始が紹介する。 関連記事『この夏、音楽好きは見逃せない盆踊り6選』『東京、この夏行くべき盆踊り12選』
ドミューンの宇川直宏が示す、文化芸術界の「大阪万博ショック」

ドミューンの宇川直宏が示す、文化芸術界の「大阪万博ショック」

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『BLAST FROM the past』の日本語版。 1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵を舞台に日本万国博覧会(通称『大阪万博』)が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加した大阪万博は、1964年の東京オリンピックとともに高度経済成長期の日本を象徴する国民的イベントとされている。 映像作家やグラフィックデザイナー、そして「現在美術家」など多方面で活動する一方、ライブストリーミングチャンネル『ドミューン(DOMMUNE)』をキュレーションしてきた宇川直宏は、2歳のときに両親と『大阪万博』の会場を訪れている。 最先端の文化博覧会という一面も持っていた『大阪万博』は、日本のサブカルチャーにどのような影響を与えてきたのだろうか。2025年の『大阪・関西万博』で芸術や音楽が果たすであろう役割も含め、宇川に語ってもらった。 関連記事『大阪・関西万博ガイド』
大石始が選ぶ、8月に行くべき夏祭り

大石始が選ぶ、8月に行くべき夏祭り

タイムアウト東京Things To Do > 大石始が選ぶ、8月に行くべき夏祭り 8月の東京ではさまざまな祭りや年中行事が行われる。季節の風物詩でもある行事を通じ、人々は季節の到来を感じ取ってきた。新型コロナウイルスの感染拡大によってそうした行事の多くは中断を余儀なくされたが、昨年からは各地域で本格的な復活を遂げている。 本記事では、2024年の東京の夏を実感することのできる祭り・年中行事を厳選して紹介しよう。 関連記事『全国18カ所の祭りを巡る大石始の新著「異界にふれる ニッポンの祭り紀行」発売』『東京から盆踊りが消えた夏』
大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り

大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り

タイムアウト東京 > Things To Do > 大石始が選ぶ、この夏行きたい盆踊り 2020年以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響から各地の盆踊りは開催自粛を余儀なくされた。昨年の夏はいくらか再開ムードが高まったものの、さまざまな規制がとられ、やはり完全復活とはいかなかった。しかしこの2023年、多くの団体が規制のない開催へと踏み切り、いよいよ盆踊り復活の機運が高まってきた。 本稿執筆時は「東京最古の盆踊り」とされる「佃島の盆踊」(中央区佃)など、開催が決定していないところがあるものの、どの会場も大きな盛り上がりが見られることだろう。東京では各地で大小さまざまな盆踊りが行われているため、ここで全てを網羅することはできないが、その一部を厳選して紹介しよう。 関連記事『東京、かき氷30選』『東京、七夕祭り5選』
岡本太郎の右腕、千葉一彦が語る「太陽の塔」と大芸術家の素顔

岡本太郎の右腕、千葉一彦が語る「太陽の塔」と大芸術家の素顔

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『Tower records』の日本語版。 1970年に開催された『日本万国博覧会』(以降、『大阪万博』)において最大のシンボルとなったのが、芸術家の岡本太郎が制作した『太陽の塔』である。岡本は戦後間もない時期から縄文土器や沖縄および東北の伝統的な習俗、メキシコの壁画への関心を深め、高度経済成長期の日本における魂のありかを追い求めた。 高さ70メートルを誇る「太陽の塔」は岡本のそうした思想を象徴する作品であり、大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する痛烈なアンチテーゼでもあった。 この『太陽の塔』を岡本とともに作り上げたのが、「テーマ館」のサブプロデューサーを務めた千葉一彦だ。千葉は日活の美術監督として『幕末太陽傳』(1957年)、『日本列島』(65年)、『八月の濡れた砂』(71年)などの映画作品を手がけた経歴を持つ。 万博においては岡本の右腕役を担い、2人がタッグを組んで作り上げた最高傑作が『太陽の塔』であり、その内部に作られた一大展示作品『生命の樹』だった。2018年には48年ぶりに『太陽の塔』の内部が公開され、それに合わせて『生命の樹』も修復された。 岡本とのエピソードを交えながら、大阪万博の貴重な裏話を千葉に語ってもらった。