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Shiho Yagi

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Articles (4)

ローカルレジェンド #24 指人形笑吉工房 露木光明

ローカルレジェンド #24 指人形笑吉工房 露木光明

タイムアウト東京 > ローカルレジェンド> ローカルレジェンド #24 指人形笑吉 露木光明 テキスト:八木志芳写真:谷川慶典 「粘土をいじっていると自然に表情が出来てくる」東京、谷中で手作りの指人形を作り続ける露木光明(つゆきみつあき)は、目に笑い皺をため優しい口調で話す。 千駄木駅から徒歩2分。大通りから路地を入った住宅地に、露木が主催する指人形笑吉工房はある。周囲は下町の香りが残る昔ながらの街並みだが、レトロな雰囲気が受けてか近年は外国人観光客が増加。その中でも笑吉はツアーに組み込まれるほどの人気スポットだ。 店内に足を踏み入れると、露木が手掛けた人形がずらりと並べられている。よく見ると一体一体全く違う表情をしており、同じものがない。孫へ電話する祖父母や、正月に家に集まる家族など、日本人の生活の一場面を切り取ったような作品が展示され、どれも表情豊か。歴代の総理や、タモリ、黒柳徹子などの有名人に似せた人形もあり、こちらも特徴を捉えていてそっくりだ。 手前は笑福亭鶴瓶の人形。偶然本人がテレビのロケで訪れたことも。 現在72歳の露木だが指人形の製作を始めたのは意外に遅く、50歳になってからだという。元々絵の勉強をしていた彼は、サラリーマンをしながら子供向けの絵画教室を開いていた。ある時、子どもたちが喜ぶだろうと粘土を取り入れてみたところ、自身が粘土に魅了され、指人形製作を始めるようになった。そうして出来上がった作品をデザインの展示会に出展したところ、瞬く間に評判となり、工房を立ち上げるまでになったのだ。 オリジナル人形にモデルはおらず「粘土を触っていると自然に顔が出来てくる」のだそう。人形を見渡すと老人が多いが、これは「年寄りの方が味があって、良い顔になる」という理由からだ。間近で見ると、笑い皺や眉間の皺が丁寧に再現され、人形たちに生き生きとした表情を与えている。/image.jpg" alt="" width="100%" /> 露木の作る人形がほかとは違うのは、自由に動かせる指人形であるということだろう。工房では、指人形を使った指人形劇が1日7回も行なわれている。露木自らが人形を操り、30分の公演で『笑い上戸』『酔っ払い』『ウォーターボーイズ』と名付けられたショートコントを11本も披露。魂が宿ったように愛嬌のある動きをする人形は、とても指3本で動かしているとは思えない。魚を釣り、シャボン玉を膨らませる様は、名人芸の域に達していると言っていいだろう。動きで見せるサイレント芝居のため、言葉が分からなくても楽しめる。笑吉が外国人にも人気なのは、この指人形劇があるからと言ってもよいだろう。 指人形劇での1コマ 指人形製作のオーダーもひっきりなしに届き、今は最大1年待ちだ。顔写真があれば、実際の人物に似せた人形を作ってくれることから還暦祝いや、かつて世話になった先生への退職祝い、さらに日本観光の記念で注文する外国人が多いのだとか。故人を偲んで依頼する人もいるそうで「『亡くなって初めての正月だったが、人形と過ごせて寂しい思いをすることなく過ごせた』と言われた時はうれしかった」と話していた。 露木は「指人形作りは、自分の好きなことだから本当に楽しい。作れるところまで作り続けたい」と語る。指人形への深い愛情が、唯一無二の作品を生み出しているのだろう。    指人形笑吉工房の詳細はこちら 公式サイトはこちら

ローカルレジェンド #25 あさくら画廊 辻修平

ローカルレジェンド #25 あさくら画廊 辻修平

タイムアウト東京 > ローカルレジェンド> ローカルレジェンド #25 あさくら画廊 辻修平 テキスト:八木志芳写真:谷川慶典   「とにかくカワイイ物を作りたい」と、アーティストの辻修平は語る。 東武伊勢崎線竹ノ塚駅から徒歩15分、昔ながらの雰囲気が残る住宅街の中に突然現れるショッキングピンクの一軒家を知っているだろうか。周囲の風景と比べあまりに異質なその家は、見るもの全ての目を奪う。ここは辻の画廊兼自宅だ。 路地から見える壁は全面、ピンク色の絵やオブジェで装飾され、入るのを一瞬ためらってしまうが、インターホンを鳴らし出てきた辻を見ると別の意味で驚く。「ここまでピンクで主張した建物なのだから、全身ピンクの人が出てくるのでは」と予想していたところ、現れたのはスキンヘッドに緩めのTシャツとパンツを着込んだラッパー風の青年だった。「作る時はいつもラップを聴いている」と話す辻。しかし、彼の手から生まれる作品はどれもポップでかわいいものばかりだ。 画廊1階奥のスペース。ピンクの象が印象的 絵を描くことが好きだった辻は、東京芸術大学への進学を希望。しかし3浪の末に入学を諦め、独学で創作活動を始めた。活動を始めた頃は、豆腐屋だったという母方の祖母の家にアトリエを構えていたが、作品が増えるにつれ手狭になり、今の画廊である父方の祖母の家が、ちょうど空くことになったため、2012年8月に場所を移した。 画廊2階にも作品が所狭しと飾られている 画廊がピンクである理由を聞くと「ピンクでぐちゃぐちゃな一軒家を作ったら面白いかなと思った」と辻はとても純粋な目で真剣に語る。もちろん外観だけではなく、家の中全てがピンク色の世界だ。玄関から入ると、いきなり目の前に、ぬいぐるみなどを積み上げた高く大きなピンクのオブジェがお出迎え。天井から床まで至る所に作品が置かれ足の踏み場もないほど。キッチン、トイレ、風呂場、さらに、屋上と称した屋根の上までも辻の作品と化している。以前画廊に遊びに来ていた小学生のために作った滑り台やブランコもあり、ちょっとしたアミューズメント施設のよう。室内ではイチゴのお香も炊かれており、画廊を訪れた人間は異次元に迷い込んだような気分になるだろう。 辻が日常で使用しているトイレと風呂 この東京の外れにある不思議な画廊のうわさを聞きつけて、ポップアートに興味のある者、カワイイものが好きな10代などさまざまな人が日々訪れる。 作品はどれも独創的。セメントで作られた大きな象やバクダン、お菓子のパッケージの中央に鎮座するの仏像など。もちろんどれもピンク色で、かわいくデフォルメされている。 思わず手を合わせたくなる仏像 特に目を引くのは、瞳を大きく描いた少女のイラストだ。昔はギャル雑誌のモデルを参考に、瞳を大きく誇張した女性の絵を描いていた。しかし、アニメの萌えキャラなどの影響を受け、今は原宿系のファッションを身にまとったカワイイ女の子の作品を多く描いている。絵やオブジエに書かれた印象的な文章も、全て好きなアニメのセリフからインスピレーションを受けているんだとか。 女の子のファッションは雑誌を参考にしている これまで制作してきた作品は1000点以上。画廊内にある作品は全て購入可能だそう。高いものは100万円から手に取りやすいものだと100円のステッカーや、オリジナルキャラクターである血を吐く赤ちゃん「吐血ベイビー」のストラップなどがある。ちなみにこの家も6,000万円で販売。「作品を置く場所がなくなってきたから、早く家を売って、新しい場所に移りたい」という辻。家が売

ローカルレジェンド #22 車いすYouTuber 寺田ユースケ

ローカルレジェンド #22 車いすYouTuber 寺田ユースケ

タイムアウト東京 > ローカルレジェンド> #22 車いすYouTuber 寺田ユースケ テキスト:八木志芳写真:豊嶋希沙 「障がいがある、なし関係なく、YouTubeを通して、色々な人と繋がっていきたい」車いすYouTuberとして活動している寺田ユースケは、キラキラとした瞳で話した。 愛知県名古屋市出身、1990年生まれの28歳。年始に大きなニュースとなった、ZOZO TOWN社長の前澤友作が100人に100万円をプレゼントするという企画で、見事当選しYouTube上で話題となった。 寺田はYouTuberになるまで、ほかの人の何倍も濃い人生を歩んできた。 脳性麻痺を持って生まれた彼は、物心がつく前から足が不自由だった。10代の頃は、健常者と同じ学校に通い、健常者と同じような生活を送ることにこだわっていたが、20歳で車いすと出会い、世界が変わった。移動が格段と楽になり、行動範囲が広がって、気持ちもポジティブになったという。 その後、大学で出会った在日韓国人の友人と意気投合。彼が障がいを笑いに変えてくれたことと、イギリスへ留学中に見た、視覚障がい者を扱ったコメディ番組『Mr. Bean』に衝撃を受けて、大学卒業後、大阪のお笑い養成所へ入る。しかし、3年間の芸人生活では目が出ることはなく、お笑いの世界と決別。 次の道に悩んでいたところ、乙武洋匡と出会う。寺田にとって、憧れの存在だった乙武から『車いすホストになってみれば』という予想外の提案を受け、「知らない世界に飛び込んでみよう」と、新宿・歌舞伎町のホストクラブSmappa! Group APiTSにて、ホストデビューを果たす。 2年間のホスト生活を経て、「自分にしかできないことが、ほかにあるのでは」と、ホストを辞めて、車いすで日本一周の旅をスタートさせた。この挑戦では、「気軽な助け合いを広めたい」という思いから、車いすを押してもらって進むことに決めた。2017年4月に始まった旅は、現在進行形。2018年12月末時点で、31道県を訪れ、405組が車椅子を押してくれた。 ただ、挑戦を続ける中で、葛藤もあった。「気軽な助け合いを広めたい、と始めた活動だけど、実は、心の底から言っている言葉ではなかった。それよりも、この挑戦を通して有名になりたい、という思いの方が強かった」そんな迷いの中で出会ったのが、現在の寺田を支えている、妻のまゆみだ。  紹介を通して出会った二人は、順調に交際を重ね、2017年末にゴールイン。この結婚が、寺田の大きな転機となった。「障がいがあるからと諦めていた結婚をすることができた。今までの活動は全部、有名になってモテたいという気持ちが原動力だったけど、結婚した途端、自分は何のために頑張っていけばよいのか、わからなくなった」 結婚により、一時的に目標を見失ってしまったのだ。改めて「自分は何ができるか」を考え、夫婦で話し合った結果、たどり着いたのがYouTubeだった。  「自分が頑張っている姿や、馬鹿なことをやっている姿を見てもらうことで、障がいのある人や頑張っている人を勇気づけたい」 2018年夏にまゆみと一緒に「寺田家TV」というチャンネルを立ち上げて運営している。動画制作は妻と二人三脚。日本一周の旅の様子や、東京での暮らしについてなど、車いすユーザーならではの視点で発信している。YouTubeを始めてまだ5ヶ月だが、着実に登録者が増え、健常者はもちろん、耳の聞こえない人など、障がいを持つ人も見てくれるようになった。 「ヒカキンさんに車椅子を押してもらうコラボ動画を撮

ローカルレジェンド#21 暗黒アイドル ネクロノマイドル

ローカルレジェンド#21 暗黒アイドル ネクロノマイドル

タイムアウト東京 > ローカルレジェンド> #21 暗黒アイドル ネクロノマイドル 「サンリオが大好き。サンリオピューロランドの年間パスも持っている!」と、流暢な日本語で話す、アメリカ出身のリッキー・ウィルソン。女性5人のアイドルユニット、ネクロノマイドル(NECRONOMIDOL)、通称「ネクロ魔」のプロデューサーだ。 ネクロノマイドルのテーマは「暗黒」。ブラックメタル、ダークウェイブ、ニュー・ウェーブ・オブ・ブリティッシュ・ヘビーメタルなどのハードな音楽を取り入れた楽曲、黒を基調とした衣装、エンターテイメント性の高い振り付けなどで、独自路線をひた走る、今注目のグループである。活動は日本国内にとどまらず、アメリカやヨーロッパでも、ライブを行う。 ところでなぜ、アメリカ出身のリッキーが、日本で日本人のアイドルをプロデュースすることになったのだろうか。  2018年12月2日、下北沢Shelterでのライブより リッキーは、高校生の頃からアメリカで日本語や日本文学を学び、大学卒業と同時に来日。当初は熊本県で英会話スクールの講師をしていたが、その後、「活動の幅を広げたい」と上京。東京に来てからは、ホビー用品やフィギュアを扱う通販サイトの仕事をしつつ、バンド活動も行い、パンクやメタルを演奏していたという。その通販サイト会社が企画したイベントで、日本のアイドルと一緒になる機会があった。リッキーが日本のアイドル文化に接触したちょうどその頃は、BiSやでんぱ組.incなど、それまでのアイドルのイメージを覆すグループが、話題となった時期。 「ただ可愛いだけではなく、曲も良い、日本のアイドルに興味を持った」というリッキー。知人の勧めもあって、自身でアイドルグループを立ち上げることになった。 コンセプトである「暗黒」の世界観を表現したステージ 「東京のアイドルシーンははやりものが多く、似たようなグループが乱立していた。絶対にほかのグループとは被らない楽曲で挑戦したかった」という思いから、「暗黒」というコンセプトや、ブラックメタルを押し出した曲を作り上げていった。 オーディションにて、現在もリーダーとして活躍する柿崎李咲(かきざきりさき)や、「元々、ファッションとして白塗りをしていた」という瑳里(さり)などのメンバーが集まり、2014年3月に結成。数回のメンバーチェンジを経て、現在は、柿崎李咲、瑳里、夜露(よつゆ)ひな、今泉怜(いまいずみれい)、月城(つきしろ)ひまりの5人で活動している。 Photo by Kisa Toyoshima   東京での活動を中心にスタートしたが、ここ数年は、海外での公演にも力を入れ、現地での評価も高い。「YouTubeで私たちの楽曲を知っている人も、生のライブでは、すごく新鮮な反応をしてくれる(月城)」、「現地のファンが本当に喜んでくれて、オリジナルの振り付けで踊って、楽しんでくれる人もいる(柿崎)」と、メンバーも海外公演の手応えを感じているようだ。 海外での活躍には、もちろん、プロデューサーであるリッキーの存在が大きい。 「もしリッキーさんが日本人だったら、同じようなコンセプトだったとしても、私たちは全く違う道を歩んでいたし、海外にも行けなかったと思う(今泉)」   2019年1月7日でメンバーの瑳里と夜露ひなの2名が卒業し、新メンバーの加入も決定している。さらに新たなステージへと向かうネクロノマイドル。リッキーは「ネクロノマイドルは歩みを止めずに、突き進んでいきたい。まだまだネクロ魔で、出来ていないことが沢山ある。僕自身は

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あらゆる人の意識のバリアをなくす「超福祉展」が渋谷ヒカリエでスタート

あらゆる人の意識のバリアをなくす「超福祉展」が渋谷ヒカリエでスタート

従来の福祉の枠を超えたアイデアやデザイン、テクノロジーを発信する『超福祉展』が、11月7日から渋谷ヒカリエ8階08/(ハチ)などで始まった。   『超福祉展』は、正式名称が『2020年、渋谷。超福祉の日常を体験しよう展』で、障がい者をはじめとするマイノリティや福祉そのものに対する「心のバリア」を取り除こうと、2014年より毎年11月に一週間行われる展示会。会場には、福祉を支える最先端のプロダクトやテクノロジーが展示されており、慶応義塾大学による「盲人ランナーと伴走者をサポートするグッズ」や、産業技術大学が開発した「楽器の機能を持たせた音の鳴る服」などが注目を集めていた。 展示物のほとんどが、実際に触れることができ、最新の障害者向け運転補助装置や補聴器などの技術を体験すると、来場者たちは技術の進化に驚いていた。      また、開催期間内には、様々なシンポジウムや体験ツアーが開催され、8日には、タイムアウト東京代表の伏谷博之がアソビジョン代表取締役で慶應義塾大学研究員の國友尚と登壇し、『東京をひらくーOPEN CITYの条件ー』と題したトークセッションを行った。      11月10日(土)には、ハチ公前広場でパーフォマンスやワークショップが、渋谷駅13番出口地下広場で最新テクノロジーとスポーツが融合した『超人スポーツ体験会』などが開催される。驚きに満ちた福祉の最前線をのぞいてみよう。 『超福祉展』の詳しい情報はこちら